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ヤーリマクイーン

ヤーリマクイーン
yariq.gif(2000)

ストーリー・勇者の力を受け継ぐ魔法使いクーリーと女戦士リマ。旅を続ける彼女たちは、ふとしたことからサワーという修道女と仲良くなる。しかしそれは、復活を目論む淫魔ヤルダズィークの策略であった。


 ・軽いものが観たくて借りたらこれが軽い軽い(人命とか)。
といってもノリで押し切ろうという軽さなので腹は立たないです。それにしては演出や3DCGはかなり意欲的で、遊び心いっぱいです。なんだこのギャップは。
絵も、「キレイに描けるけどノリでいいや」という感じで、やっぱりなんとなく投げやりです。敵のお姉さんがちょっと濃いです。「抜ける度」2です。
偶然見つけたんですがメニュー画面をしばらく放置するとゲームのデモ画面みたいに未使用映像集が始まります。CGの製作過程みたいなのも見られます。本編だけでなくメニュー画面まで粋に演出するサービス精神に感動しました。(eternal白)



 ・グリーンバニーさんから頒布されている作品で、どうやらオリジナル企画のようです。やけに作画が良いなあと思いましたら、制作はAICさんでした。道理で。
 内容的には剣と魔法の世界で繰り広げられるドタバタコメディで、一応は魔王復活とか伝説の勇者だとかいう大ワクのストーリーや設定があるものの、それは枕詞程度の記号に過ぎず、実際やってることは全編これナンセンスギャグオンリーです。
 ためにドラマはのべつに脱線してまともには進みませんし、キャラたちが何らかの目的を達したり心情的に何らかの糧を得たり、まして世界の平和が守られたり等という帰結は何もありません。しかし見終えてみると実にカッチリまとまった作品という印象が残るのは、さすがAICさんらしいプロのお仕事という感じがします。
 何よりギャグのバカバカしさがとても痛快で、勇者の守護者を名乗るオッサン連のダメダメぶりとか、敵の刺客ながら犬にアソコを始終ナメナメされて悶えまくってる女幹部の繰り返しギャグとかが楽しすぎます。
 エロシーンは前半が百合3P、後半が触手エロとマッチョマン(モンスターだが)によるAV同時責め等、結構バラエティもあってかつ濃厚です。
 基本的にギャグですからレイプシーンなども深刻な雰囲気にはなりようもなく、よって鬼畜好きな人にはアピール度が弱いかもしれませんが、それでも十分及第な出来に感じました。
 「抜ける度」は2強くらい。コメディやギャグの好きな人にはオススメの佳編です。(彩雲11型)
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夜勤病棟参 Experiment.2

夜勤病棟参 Experiment.2
yaki3-2.gif(2005)

ストーリー・美しき院長・御影麗佳から新薬の被験者になって欲しいと依頼された男・空(そら)は、それを承諾し、特別病棟に移ることになる。担当ナースの八神優が、本館の仕事のため、暫くの間、空のもとから離れる事を麗佳から聞かされた空は少しうかない様子である。被験者になったからと言って、特にすることも無く、院内をぶらついていた空は、ライブラリー内で熱心にパソコンのモニターを見入ってるナースの如月ひよりの姿を発見する。ひよりの方に近づき声をかける空だったが、なんとひよりはアダルト動画を見ていたのである。そしてひよりは空に対して「私の実験に付き合って欲しい」と言い出す。
特に断る理由も無かった空は、実験に付き合うことにするのだが……。


 ・私は夜勤病棟参 Experiment.1(以下、夜勤病棟参1)のレビューで以下のことを書いた。
「今回エロシーンこそお預けだったもののロリキャラ、如月 ひよりは、言葉遣いをはじめとして私にとってかなり壺にはまりそうだ。ただのウザキャラと化した児玉 ひかるとは雲泥の差で愛着をもてることが期待される。駄作Krankeシリーズに比べれば、夜勤病棟参は綺麗にまとまりそうだ。[ママ]」この文章を全撤回する。理由は後程述べるが、Krankeシリーズよりもましだなんてとんでもない思い違いであった。夜勤病棟参 Experiment.2(以下、夜勤病棟参2)を鑑賞した後、夜勤病棟参シリーズは、Krankeシリーズすら凌駕する駄作中の駄作であると思うようになった。復活後のディスカバリー(新体操(真) etude.1(2006年6月)発売以後)には本当にろくな作品がない。ディスカバリーはどうせ風前の灯であったのだから、パンチラティーチャー第2話(私はこのシリーズをなかなかの秀作とみなしている。)発売後、清く散るべきであったのだ。末期になってすいぶんと醜態を曝け出したものだ。
 夜勤病棟参シリーズは、作画レベルに関しては謙遜のない出来となっている。ただし、特に、夜勤病棟参2に関してはエロの内容が全く良くない。私は夜勤病棟参1のレビューでこうも書いた。「昨今のアダルトアニメには、個人的にあまり食しがそそらないと。その理由は、近年のバニラ作品の傾向である程度説明可能なように思われる。バニラ作品は発足当時からそのクオリティーの低さから、バニラクオリティー等、様々な表現でののしられてきたが、近年色々な意味でそれにさらに磨きがかかっているように思われる。これについての詳細は、バニラ作品のレビューでいつか言及したいと思う。[ママ]」昨今のアダルトアニメの傾向を嫌う理由、そしてバニラ作品を罵る理由をまさか夜勤病棟参シリーズのレビューで説明することになろうとは私は夢にも思わなかった。私が最も毛嫌いするエロ描写、それは逆SMである。近年のバニラ作品のほとんどは何らかの形で必ずと言ってよいほど逆SM要素を含んでいる。例えば、縄で束縛されて、女キャラに足コキされて感じているマゾ男を見かける(処女オークション 出品編(2005)、痴漢物語後編(2006)参照)。私はこれらのシーンを見て、身の毛のよだつ思いに駆られた。私は夜勤病棟参1のレビューでSM物を好むと書いた。ただし、ここで追加説明させてもらうが、私が好むSM描写において、M役は女限定である(S役はできれば男のほうがよいが、女でも別に構わないと思う。)。私がアダルトアニメを見る上で最も重要視しているのは、言わずもがな女体のエロさである。私がSM描写を好むのは、M役の女の苦悶と恍惚の表情や縄等で拘束された屈辱的な格好が女体のエロさを向上させると信じているからである。つまるところ、私はSM描写を女体のエロさを向上させる効果的な一つの手段とみなしているわけである。SMにおける私の考え方では、M役が主役であり、S役はあくまでM役のエロさを引き出すコーディネーターである。逆SMでは、男キャラがM役 = 主役となり、彼は全裸にて縄で縛られたり、時にはアナルプレイを強いられたりするときもある。こんなものを見て興奮できる男は、ゲイしかいないというのは言いすぎだろうか。
 アダルトアニメと全く無関係で恐縮だが、SMの話に関連して、自分の趣味のウェイト・トレーニングについて少々語らせてもらう。実は、筋肉は驚くほどのマゾである。筋肉はウェイト(バーベルやダンベル等)を用いた高負荷な運動で痛めつけない限りほとんど発達しない。この場合、脳がコーディネーター = S役となり、種目、レップ数、負荷強度を決め、筋肉 = M役を痛めつける。脳と筋肉は見事なSM関係にあるといえるのではないだろうか。ちなみに、筋肉はすごく嫉妬深い。ちょっと相手にしないと、要するに、鍛えていないと、その部位はすぐにか細くなってしまう。もう一つ、ウェイト・トレーニングでSMを連想させてしまうのは、腰ベルトやリストラップ、エルボーラップの類である。これらはトレーニング時、腰や特定の間接部位をぎゅっと圧迫させる道具であり、高負荷のウェイトを扱う場合には、ほぼ必須である。もちろん、これらを用いる理由は、性的快感を得るためでは決してないわけであるが(笑)真面目に語ると、これらの役割は、腰ベルトの場合、腹圧を高めて腰痛を阻止することにあるし、各種ラップに関しては、運動時における間接の動きを制限させて、間接のひねりやねじれを防ぐことにある。
 さて、話を夜勤病棟参2に移す。製作者は夜勤病棟参2のエロシーンの大半を逆SMに割いており、計2つの逆SMシーンが用意されている。言うまでもなく、主人公、空がM役であり、今回のヒロイン、ひよりがS役である。前半の逆SMでは、空はひよりに手錠と足錠をかけられ、鞭打たれる。そして足コキと続き、フィニッシュでは、なんとうなぎをけつの穴にぶち込まれる(このシーンはさすがにカットされている。)。後半では、またしても、空は手錠と足錠をかけられて束縛され、そして電気プレーに移行する。フィニッシュでは、ひよりが空の顔面に放尿して、お互い絶頂に達する。今思い出すだけでも吐き気がするプレーの応酬である。空はなんとも情けない男で、ひよりにかかる屈辱を受けても、「気持ち良かったからまあいいや。」とほざいているだけである。夜勤病棟Karte.2の比良坂竜二のように、一度女に虚仮にされたら、必要以上に執着し、虚仮にした女を陥れずにはいられない、SMアニメの男主人公とはまさしくこのような性格が理想的だと私は思う。
 脱糞描写は、夜勤病棟参2に存在する。なんと空がひよりに浣腸され・・・というのは冗談で、七瀬恋の脱糞シーンが見られる。どうして夜勤病棟参と無関係な無印夜勤病棟のキャラが出てくるのかというと、ひよりがSMの研究のために借りてきたエロビデオが無印夜勤病棟であったという設定だからである。ひよりが見ているビデオの中ではこんなシーンが展開される。竜二は自分の体の半分もあると思われる特大浣腸器を恋の肛門に挿入する。そして浣腸された恋は引っ切り無しに脱糞するのであった。この一連のシーンは全く評価に値しない。作画が適当なのは、もちろんのことだが、特大浣腸器や絶え間なく続く糞のジェット噴射等の非現実的な描写から喚起されたのは、製作者の脱糞描写に対する不真面目さと不誠実さである。ディスカバリーはどうやら無印夜勤病棟の過去の栄光を辱めずにはいられないらしい。懐古主義者である私としては、お願いだから過去の思い出は美しいままにしておいてくれと言いたいところだ。
 近年のアダルトアニメのトレンドは逆SMであり、夜勤病棟参2はそれに乗っかったというところか。こんな調子ではもうアダルトアニメに関しては、過去の数少ない名作をただひたすら懐かしむという日々が来るのもそう遠くはなさそうだ。抜ける度は、マイナスをつけたいところだが、ルール違反なので、1とさせてもらう。(りぷとー)

夜勤病棟参 Experiment.1

夜勤病棟参 Experiment.1
yaki3.jpg(2005)

ストーリー・瀕死の重傷を負ったその男(空)は、とある病院の前に倒れていたところを八神 優というナースに助けられる。特別病棟へ移ることになった彼は、美しき院長・御影 麗佳と面会する事に。そこで彼は、新薬の被験者になって欲しいと頼まれるのだった。親も兄弟も無い彼は、その被験者になることを承諾する。そして彼の担当ナースとして、八神 優がつくことになったのである。この日を境に彼の運命は大きく変化してゆくことになる……。『もう誰も止められない……』


 ・エロゲー、夜勤病棟シリーズ第3弾を原作としたOVA。ストーリーに関しては、無印夜勤病棟とは何の関連性もない。ちなみに、この作品の前作にあたる夜勤病棟弐も数年前にすでにアニメ化されている。こちらの販売元はディスカバリーではなく、D3である。夜勤病棟弐に関しては、私はまだ未鑑賞であるが、七瀬恋が出演していることから、無印夜勤病棟となんらかの関係がありそうだ。さて、私のこのアニメの評価は可も無く不可も無いといったところか。
いつものことだが、本作のレビューは後半にまわすことにして、アダルトアニメについての雑感をとりとめもなく書き連ねることにする。アダルトアニメ販売レーベルのブランドとして「ピンクパイナップル」、「ミルキー」、「バニラ」、「ディスカバリー」、「グリーンバニー」を私は挙げることができる。古参の「ピンクパイナップル」、2006年7月3日に消滅した「グリーンバニー」を除いては、その歴史は意外と新しい。「ミルキー」は2001年発足、「バニラ」はホームページの資料によると、「哀・奴隷Ⅰ(1997)」が一番古いが、1999年以降の作品がほとんどである。「ディスカバリー」は1999年発足である。要するに、1999年以降、これらの主力レーベルが凌ぎを削って、より多くのアダルトアニメが作られるようになったといえるだろう。このような背景から、私は以前アダルトアニメの全盛期は2000年から2003年と主張したが、この場でそれを訂正させてもらう。多くのアダルトアニメを鑑賞していくうちに、90年代にも優れたものはいっぱいあるし、2004年以降に発売された作品に関しても、同様のことがいえることに気づいたからだ。しかしながら、新参レーベルの興起を皮切りに、この時期のアダルトアニメ市場は小さいながらも、活気付いていたことは間違いないだろう。もう一つ言えることは、1999年以降のアダルトアニメは、どの作品に関しても、ストーリーを犠牲にして、エロ描写を重視する傾向がある。アダルトアニメとしては、こちらが正道というものだろう。もっとも、そのような風潮に甘えてか、退屈なエロシーンを無下に垂れ流す駄作も、特にバニラ作品でたくさん生まれたわけであるが。一方で、それ以前のアダルトアニメの大まかな特徴として、
1.RPG風のファンタジー物、SF物、淫獣物(触手物?) が多い。
2.声優が豪華であることが多い。
3.エロシーンが少ない代わりに他の演出(戦闘シーンやストーリー展開)が丁寧なものが多い。
の3点が挙げられる。私は今でこそ数多くのアダルトアニメを見てきた身であるが、90年代からの愛好家であったわけではない。私が始めて見たアダルトアニメはマイナー作品「微熱症候群?保健室へようこそ(1997)」であった。なぜそれを見ようとしたのか、今では覚えていない。今にして思うと、これは同時代の作品の中でもかなりレベルの低いほうに入るのではないだろうか。私は、アダルトアニメは所詮この程度かという偏見を抱いてしまい、それ以降ある時期まで鑑賞を敬遠していた。その後、私のアダルトアニメに対する価値観の転機は突如として訪れる。私が次に見たアダルトアニメは「夜勤病棟 Karte.2(ディスカバリー、2001)」であった。これを初めて見たときのえにも言えぬ感動は、いつぞやに書いた私の夜勤病棟 Karte.2のレビューに書いてある。これが、私がアダルトアニメ愛好家になったきっかけであるといえる。「微熱症候群」のトラウマのせいか、私は90年代以前のアダルトアニメを故意に敬遠していたが、偏見を取っ払って、いくつかの作品を見てみると、昔のアニメも決して悪くはないと見直した。一方で、昨今のアダルトアニメに関して、私はどう思っているのかというと、いささか悲観的である。私はこれまでのいくつかのレビューで最近のアダルトアニメ市場は衰退しつつあると主張してきた。これは「グリーンバニー」が市場から撤退したこと、身近な話で言えば、アダルトアニメを取り扱うレンタルビデオショップが数少なくなってきたこと等である程度裏付けることができるが、近年の詳細な販売数等を私は把握しているわけではないので、半ば確証にかける表現であったことをここで謝罪する。私はこう言うべきであったのだ。昨今のアダルトアニメには、個人的にあまり食しがそそらないと。その理由は、近年のバニラ作品の傾向である程度説明可能なように思われる。バニラ作品は発足当時からそのクオリティーの低さから、バニラクオリティー等、様々な表現でののしられてきたが、近年色々な意味でそれにさらに磨きがかかっているように思われる。これについての詳細は、バニラ作品のレビューでいつか言及したいと思う。一方で、ディスカバリーレーベルに関しては、「夜勤病棟」というブランドシリーズのみに目を奪われがちだが、その他にも「犠母妹(2002)」、「誘惑(2003)」等、秀作が多く、個人的には好感がもてるアダルトアニメメーカーであった。ただし、2005年
2月に「パンチラティーチャー第2話」が発売されたのを最後にディスカバリーはすっかり鳴りをひそめてしまった。「パンチラティーチャー第2話」の次に発売されたのが、「新体操(真) etude.1(2005年6月)」であるが、これが発売されるまでのブランクがなんと4ヶ月もある。元々ディスカバリーは年間販売本数自体がそれほど多くなかったが、この4ヶ月のブランクは私にとって異様に映った。当時の私はディスカバリーもとうとう終焉を迎えたかとせつない気持ちでいっぱいであった。「新体操(真)」で見事復活を果たしたディスカバリーではあったが、命の残り火を必死になって灯しているようにしか見えなかった。「新体操(真)シリーズ」、「夜勤病棟Krankeシリーズ」どれを見てもバニラクオリティーという形容がふさわしい駄作ばかりだったからだ。この夜勤病棟参Experiment.1はディスカバリーがこのような状況の中、発売されたものである。
さて、しばし私の戯れ言に付き合っていただきたい。このアニメは全体的にエロさが足りない。エロさに関しては、「夜勤病棟 Kranke.1」のレビューで「顔形」、「体つき」、「アングル」、「モーション」にしぼって私なりに考察してみた。今回は別の観点でエロさについて語る。私は純愛物よりも陵辱、SM物を好む。私はアニメにおいて普通のセックスシーンで発情することはほとんどない。よって、セックス描写をはじめとする性的表現が極端に制約される純愛物は、抜き用のアダルトアニメとしての価値を全く有していないといっても過言ではないだろう。それでは、強姦シーンでありさえすれば抜けるかといったらそれもまた違う。強姦と和姦との違いは偏に女キャラが嫌がっているか、嫌がっていないかにつきる。私としては強姦と和姦の違いはエロさにさほど寄与しないように思われる。エロさに重要な項目を思いつく限り箇条書きにして書いてみる。
1.チラリズム。一般的に、スカートがめくれてパンツが一瞬だけ見えることに用いることが多いが、ここでは、この用語をもっと拡大解釈して使いたい。要するに、全裸ではなく、なんらかの装着物を羽織りながらの性的描写もチラリズムと呼ばせてもらう(強引すぎるが、これ以上適切な単語を思い浮かべることができなかった。) 例えば、上半身あるいは下半身のみ裸の描写であったり、靴下のみを身に着けていたりする描写がそれである。眼鏡娘の眼鏡もこれに当てはまるといえる。もう一つが時間軸におけるチラリズムである。これは、例えば、ある女キャラがストーリーの中盤までは上着一つ脱がなかったにもかかわらず、終盤では全てをさらけ出して全裸になることを指す。この手法はアダルトアニメでよく用いられる。このアニメに登場する如月 ひよりのエロシーンは今回一つもない。次回までのお楽しみというわけである。チラリズムとは、つまるところ、想像する楽しみである。スカートの中はどうなっているのだろう?眼鏡娘の素顔はどうなのだろう?等の想像が性欲を高めるのである。ただし、チラリズムはこれだけでは完結しない。想像力で喚起される性欲など左程のものではない。実際にパンツが見えてこそはじめてチラリズムは成立する。
隠れた状態とあからさまの状態、この2つが両方存在することで相互依存的にエロさが高まるといえる。この効果を世間で知られている単語、チラリズムと私は表現したまでである。一方で、最も私を萎えさせるのが、隠れた状態のみである場合である。例えば、「フーリガン、バニラ(2001)」のマルグレーテや「魔界天使ジブリール、ANIMAC(2007)」のラブリエルは期待させておいて結局最後まで脱がない。もう一つ、隠れた状態といえば、モザイクについての言明は避けられないだろう。モザイクはエロさにおける最大の障壁といえるのかもしれない。
2.身体を束縛する器具。目隠し、よだれ玉、手かせ、縄等である。特に、私は目隠し状態に性的興味を覚える。女キャラの体の一部が束縛されるとどうしてエロさが高められるのだろうか?支配欲がその理由の一つといえるが、目隠しに関しては上記のチラリズムが大きく関係する。目は、とりわけアニメにおいては人間の表情を知るのに重要な器官である。
そこが隠されれば、その下の表情を想像するという楽しみが生まれるのである。
3.スカトロジー。広辞苑によると、スカトロジーとは「糞尿や排泄行為を好んで取り上げる趣味・傾向」とある。どうやら性的な意味のみではないらしい。そういえば、子供はうんこや小便という表現が好きだ。糞と小便は汚いと嫌悪しながらも、生まれてから死ぬまで一生人についてまわる存在である。人は誰しも本能の片隅にスカトロジーを内包しているのかもしれない。また、人の生殖器が下腹部にある(男の場合は、尿道を通して精液が排出されるのだから、生殖器の一部が排泄器官と同化しているとさえ表現できる。) のとスカトロジーには何らかの関連性があるのかもしれない。
4.アナルセックス。肛門にペニスを挿入する行為は日本では背徳的なイメージがあるが、海の向こう側ではどうやらそうでもないらしい。なぜならば、ポルノの本場、アメリカのAV女優は普通のセックスとほぼ同感覚でアナルセックスを行うからだ。どうやら人間は糞が排出される肛門に性的興味を覚えるようだ。大雑把に言ってしまえば、アナルセックスはスカトロジーの一種とみなせなくもなく、これがポルノの世界で一般的になっていることからも分かる通り、やはりスカトロジーは一部の変質者のみの性癖では決してなく、人間の本能に則したものと考えるほうが妥当であるのかもしれない。
5.身体を束縛するため以外の器具。例えば、バイブ、アナル玉、浣腸器などがそれである。
基本的に私は器具によるアナル責めにエロさを感じる。これは無印夜勤病棟の主人公、比良坂先生の影響かもしれない。思えば、比良坂先生は色々な器具を用いて創意工夫をこらし、エロさを演出してくれたものだ。残念ながら、Krankeシリーズの比良坂先生はただのエロ親父にすぎないわけだが。
以上5つの項目がエロさにとって重要だと思われる。私が陵辱、SM物を好むのは、これら5つの項目がどれも含まれている可能性が高いからだ。もちろん、5つの項目が全て含まれていたからといって抜けるとは限らない。キャラデザ等他の要因を絡めると、抜けるか抜けないかは、とどのつまり個人の感覚に依存するわけであるが、これら5つの項目がわたしにとってエロさの指標になることには間違いない。
以上のことを踏まえると、この作品はエロさが弱いといわざるをえない。夜勤病棟シリーズの醍醐味であるスカトロジーは無印でないからかどうかは知らないが、存在しない。アナルセックスすらない。メインのエロシーンは2つあり、その中の一つがストーリー中盤において主人公、空がヒロイン、八神 優を強姦するシーンであるが、あまりぱっとしない。
夜勤病棟参のヒロイン、八神 優の性格は七瀬 恋と非常に良く似ている。清楚可憐で大人しく、相手の性的行為に対しては常にほぼ無抵抗だ。陵辱物では、すぐに従順な雌奴隷になるタイプだ。私はこういうタイプは決して嫌いではないが、無印夜勤病棟の七瀬 恋のようにことあるごとにしゃしゃり出てくると食傷気味になってしまう可能性が大きい。一方、主人公の空の性格や立場に関しては、一話を見ただけではよくわからない。彼は記憶喪失でやや精神分裂ぎみである。訳もわからず、病院に監禁され、その後、院長・御影 麗佳に薬の被験者になるように頼まれる。この薬の正確な効果は今のところ不明だが、どうやら性欲を増強させるもののようだ。空が優をレイプしたのもこの薬の効用によるものが大きいと臭わせる描写があったからだ。空は精神分裂ぎみだから、訳のわからない行動をしばしば起こす。例えば、もう一つのメインのエロシーンで、彼は巨大ウナギを優の膣の中に挿入する。その理由は鬼畜行為を行いたかったからではなく、純粋に彼女に喜んで欲しかったかららしい。嫌がる彼女を見て動揺する彼の様子を見ると、彼は巨大ウナギプレイを本気で善意ある行為と思っていたと見受けられる。巨大ウナギプレイはエロシーンとしても微妙で、彼の意味不明な行動と相俟って、ただただ滑稽に見えた。
以上余談が大半を占めた拙いレビューであったが、この作品はエロさが弱いというアダルトアニメとして致命的な欠点を内包してはいるものの、作画の安定性はKrankeシリーズをはるかに凌ぐ。それに、今回エロシーンこそお預けだったもののロリキャラ、如月 ひよりは、言葉遣いをはじめとして私にとってかなり壺にはまりそうだ。ただのウザキャラと化した児玉 ひかるとは雲泥の差で愛着をもてることが期待される。駄作Krankeシリーズに比べれば、夜勤病棟参は綺麗にまとまりそうだ。ただし、販売元であるディスカバリーはホームページ更新の停滞から察するに、今度こそ完全に息の根が止まってしまったようだ。
夜勤病棟参シリーズは3作目まで出ていることが現在確認されているが、どうやら打ち切りで終わりそうだ。非常に残念なことである。ちなみにこのアニメの抜ける度は2とする。(りぷとー)

夜勤病棟 Kranke 児玉ひかる

夜勤病棟 Kranke 児玉ひかる
yakikoda.gif(2005)

ストーリー・竜二の罠にかかり、性の奴隷へと堕ちてしまったナース、児玉ひかる。夜の診察室で秘部へ極太バイブを挿入され、実験を施される。従順な姿勢を見せているものの、時として凶暴な素顔を現すひかるに対し、竜二はユリアンナ病院に入院している義理の妹・児玉あいを利用することを思いつく。あいの病室に現れた竜二は、あいの前でひかるに嫌がらせを行うのであった・・・。そして、その夜竜二はあいの病院でひかるへの実験を開始する・・・・・・。


 ・あくまで私が便宜上勝手に定義したことだが、夜勤病棟Karte. 5までを第一部、Karte. 6からKarte. 10までを第二部とするならば、今作は第三部の1作目ということになろう。時間軸としては、ひかるが従順な雌奴隷になる前、すなわち、Karte. 8のひかるの回想シーン(彼女が竜二に悪態をついている時期)とほぼ同じころの出来事を今作は描写している。
今作は第2部と違い、現在と過去が複雑に絡み合う構成になっていない点において、ストーリー展開がわかりやすい。今作では竜二とひかるの関係をあいが知るという展開になっており、これはKarte. 8の描写(ひかるが刑事たちの取り調べを受ける前、彼女は比良坂と自分との関係をあいに絶対に知らせて欲しくないと彼らに懇願した。)と大きな矛盾をきたしており、第三部は第一部と第二部の展開とは直接関係のないアナザー・ストーリーであるとみなしたほうがよいのかもしれない。
まず、今作の総合的な評価を簡潔に一言で表すと、アダルトアニメによくありがちな凡作であると表現するに尽きる。Karte. 9以降、私はこのシリーズをほぼ見限っていたので、大きな落胆はなかった。それでも、今作の発売が決定されたときは微かな期待を抱いたものだ。しかしながら、夜勤病棟シリーズの落ちこぼれようをこれ以上見たくないという心理が働いたのか、私は今作を鑑賞するのを躊躇した。その結果、私が今作を鑑賞するまで、発売日(2005年5月27日)からおよそ2年の月日を要してしまった。鑑賞し終えた後は、前述した通り、落胆こそ少なかったものの何とも言えない白けた気分になってしまった。今までの夜勤病棟シリーズの魅力は一切の妥協を許さず、丁寧に描かれた脱糞描写にあったと言える。もちろん、それだけではない。脱糞描写をしっかりと描いているアダルトアニメは数少なく、ディスカバリー以外の作品で私がすぐに思い出すことができるのは、「堕落 女教師破壊 下巻(ファイブウェイズ, 2003)」、「レクイエム(ミルキー, 2005)」くらいである。
私はこれらの作品にあまり魅力を感じなかった。その理由は女キャラの「顔形」、「体つき」が私の趣向に合わなかったからである。「顔形」、「体つき」について論じることは、私にとって非常に難しい。それには2つの理由が考えられる。まず一つは、私には絵心が全くないということである。とある何かに対して素人と玄人の見方が大きく異なることはよくあることだ。それはスポーツであっても料理であっても何でも良い。例えば、TVでプロサッカーを観戦する場合、一度もサッカーをプレーしたことのない時に見たときと、玄人とは言えなくとも、ある程度実際にプレーしてきた後に見るのとでは、その印象は絶対に大きく異なってくるはずである。ここで、私はある事柄について経験者以外は論ずる資格はないと言いたいのではない。内燃機関を理解しなくとも自動車の運転を楽しむことができるように、絵心がなくとも絵を楽しみ、そして評価することはできる。ただし、その評価に関しては、専門性の無さのためにどうしても言葉足らずになったり、玄人からしてみれば嘲笑すべき批評をしたり顔で行ってしまったりする。2つ目は、縦い玄人がどんなに理論武装したとしても、絵の評価は最終的には個々人のフィーリングに委ねられてしまうということだ。私が拘っている「女性語」の使用の有無のように明確に定義できる評価基準を「顔形」、「体つき」はほとんど有していない(「女性語」を使う女キャラを好むか否かに関しては、結局個々人のフィーリングに帰結されるわけではあるが。)。
以上の点に注意して、アダルトアニメにおけるエロさには何が重要なのかについて述べると、「顔形」、「体つき」の他に「アングル」、「モーション」が挙げられるだろう。これら4つの項目を考慮に入れると、最近見たアダルトアニメでは「新・最終痴漢電車 Rail-3(ミルキー, 2005)の由奈のエロシーンは非常にエロいと個人的には思った。ところで、「体つき」には1つ明確であると思われる評価基準がある。それは胸の大きさである。私は基本的に小さい胸、俗に言うペチャパイを好むが、アダルトアニメではビデ倫のせいあるいは自己規制のせいかどうかは知らないが、どんなロリキャラ(ここでは、年少キャラではなく、童顔キャラという意味で用いた)でも、その容姿からは想像し難いほどの大きな胸をしている。
私は巨乳キャラを大いに嫌う(ある程度の大きさまでは許容範囲だが)。なぜならば、巨乳は女体の美しさを大きく損なうからである。乳房の9割は脂肪でできている。だから現実世界では、痩せている(体脂肪率の少ない)女は、当然個人差はあるが、必然的にペチャパイとなる。一方で、デブの女は体中に脂肪を蓄えているわけだから、相対的に乳房も大きくなる。これは女に限らず、デブの男にも言えることで、例えば相撲取りを見れば分かる通り、彼らの乳房は女でもないのに垂れ下がっている。要するに、痩せていてかつ巨乳というのは胸パッドで誤魔化しさえしなければほとんど有り得ず、非常にアンバランスな体型であるというわけだ。私は「犠母妹(ディスカバリー, 2002)」の悠奈くらいの胸の大きさが理想的だと考える。一方で、非常に醜悪だと感じたのが「継母(バニラ, 2005)」のシルビアの胸だ。
胸の話はここまでにして、話を夜勤病棟に戻そう。今までの夜勤病棟シリーズは「顔形」、「体つき」、「アングル」、「モーション」が私好みだったと言える。ならば、今作はどうか?
とりあえず言えることは、竜二やひかるの「顔形」が今までと大きく異なっている(第1部と第2部に関しても、実際それらを見比べてみると、かなりの差があることが分かるが)。
夜勤病棟を、シリーズを追って見てきた者にとっては違和感を覚えることだろう。他には、アニメーションのレベルが全体的に下がっているように感じたが、この手の知識が浅学な私では、これ以上の説明を付加するのはどうやら無理そうである。夜勤病棟恒例の脱糞シーンに関しては、一応あるにはあるのだが、全作品の中でもそのクオリティーは最悪最低であることをここに断言する。それは脱糞描写がもっとも控えめであった夜勤病棟 Karte. 1以下である。今回竜二は蜂蜜とヨーグルトの混じった液体をひかるの肛門に注入する。アナルセックスの後、ひかるは脱糞するのだが、浣腸液が飛び散るだけであった。私は最近AV女優に浣腸して排泄させる実写のスカトロビデオを鑑賞した(案外気持ち悪くない。私はすぐに慣れた。それはやはり映像では便臭がないからであろう。映像だけでは感覚が麻痺する。人間は五感で感じてこそ始めてリアリティーを得るのであろうか。)。それによると、当然腸内の便量に大きく依存するのだろうが、始めに透明な浣腸液が吐き出され、次第に液の色が茶色となり、最終的に固形糞が排泄された。これと今作の夜勤病棟を比べてみると、今作の脱糞描写は全然写実性がないことがわかるだろう。私はKarte.6やKarte.8と同等の脱糞描写のクオリティーでなければ決して満足できない。今のディスカバリーにそれが達成できるとは毛頭思ってはいないが。
今作は脱糞描写以外に前半と後半に嘔吐描写がある。前半では、ひかるは竜二に喉の奥までバイブを突っ込まれ、咽頭反射で嘔吐した(嘔吐物は描写されているが、ひかるが嘔吐しているシーンはカットされているので、正確には、これは嘔吐描写とは言えないかもしれない。)。後半では、ひかるは竜二に排泄物の混じった蜂蜜とヨーグルトを強引に飲まされ、その直後嘔吐した。アダルトアニメでは、脱糞描写以上に嘔吐描写を扱っているものは少ない。私が思いつく限りでは、「夜勤病棟 Karte. 9 (ディスカバリー, 2003)」の恋の嘔吐、「ブラッドロイヤル Princess.1咲夜(ディスカバリー, 2002)」のミルテの嘔吐くらいである。
嘔吐描写は私の心をそそらない。その理由は、まず、嘔吐物の描写はアニメでは難しいからである。今作の嘔吐物は淡い黄色一色の液体であった。もし胃が空っぽならば、胃酸のみが吐き出されて、嘔吐物は描写のように黄色の液体となろう。但し、嘔吐の前にもし何かを食していたならば、未消化物がそのまま吐き出されるはずである。その未消化物をアニメで繊細に描き出すことは、よほどげろに対する思い入れがない限りは不可能であろう。
もう一つは、嘔吐描写は顔主体だからである。やはりエロさを醸し出すには、顔描写は副次的なものであり、陰部の描写が主体となる。その点を踏まえると、今まで敢えて触れてこなかったが、性器を隠すモザイクはエロの天敵である。私はモザイク反対論者である。
瀕死のアダルトアニメ市場をささやかながらも復活させるには、モザイクを撤廃することが最も効果的であると私は考えている(実現は難しそうだが)。よく考えてみれば不思議なものだ、我々男どもは、グロテクスとも言えるウニの中身の如き女性器にあれほどまでに発情するとは。これも神のプログラムの一部なのであろうか。
最後に、今回のメインキャラであるひかると竜二について自分が思ったことをいくつか述べようと思う。エロいかどうかは別として、私はひかるというキャラを好まない。夜勤病棟に出演する女キャラの中で最もいけ好かない奴だと考えている。その理由は彼女の性格や態度にある。これらについては私の夜勤病棟 Karte. 8のレビューに具体的に書いてある。
第1部の彼女には非常に好感がもてた。そして、第2部での彼女の豹変ぶりには目を疑った。その点、第3部の彼女の性格・態度は第2部と辻褄が合っていると言えよう。第2部以降の彼女は竜二に常にタメ口で言葉を交わし、反抗的である。要するに、私は彼女の言葉遣いに著しい嫌悪感を催したわけである。原作「夜勤病棟(ミンク, 1999)」での彼女の性格設定は一体どのようになっていたのか?今さら原作のエロゲーをプレーする気は更々ないが、ひかるがどのようなキャラとして描写されているのかは興味を引く。竜二については、アダルトアニメ史上最強の鬼畜キャラであると信じて疑わなかった。それこそ、臭作、遺作、鬼作等の他の鬼畜キャラなど問題にならないほどに。Karte. 9での竜二の衝撃的なフェミ発言(私の夜勤病棟 Karte. 9のレビュー参照)以降、その信念に幾分懐疑的になってしまったが。それでは、今回の竜二はどうかというと、ただの痴呆キャラに成り下がってしまったように思われる。ここに彼のマヌケな言動を2, 3個表記しよう。
・バイブに「ひかる5号」というセンスもへったくれもないネーミングを行う。
・蜂蜜とヨーグルトの浣腸液をひかるの肛門に挿入し、排泄させた後にその排泄物をひかるの喉に流し込む実験に対して、
「今日は二段構えの実験だ!上手くいけばノーベル賞ものだぞ!」
・上記の実験後、嘔吐するひかるに対して、
「素晴らしい!なんて哲学的な光景なんだ!」
文章だけではその滑稽さは伝わりにくいと思うが、こんな馬鹿げた台詞を平気でいう彼は本当に国立医大でトップレベル(夜勤病棟 Karte.1参照)だったのだろうか?彼が看護婦に行う行為はどんなにキチガイじみていてもいい。しかしながら、台詞に関しては、もうちょっと医師らしく知的であってもよかったんじゃなかろうか?もっとも、第1部のころから彼はマヌケな台詞を連発していたように思われる。それでも、我々視聴者が白けもせず、彼の台詞に説得力があったのは、アニメの台詞以外の演出力のおかげであったのだろう。
夜勤病棟の新シリーズ。これが「夜勤病棟」というタイトルさえ冠していなければ、近年よく見かける‘普通’のアダルトアニメと言えただろう。但し、「夜勤病棟」を名乗っているからには、その輝かしい歴史に対する責任と成果が求められる。そのことを考慮に入れると、今作はシリーズ史上最低の駄作である。よって、抜ける度は1とさせてもらう。(りぷとー)

夜勤病棟 Kranke 児玉あい

夜勤病棟 Kranke 児玉あい
yakikoda-a.gif(2005)

ストーリー・「あたし、比良坂先生と結婚します」突如、竜二との結婚を口にした児玉ひかる。それでも夜勤明けに院内の中庭でSEXを強要されたりと、ひかるに対する竜二の実験は終わることはない。竜二に醜い仕打ちを受けながらも、ひかるの竜二に対する愛情はますます膨れ上がって行く。そんな時、結婚に向けて幸せそうに見えるひかるに対して、あいの口から衝撃の言葉が発せられる!「お姉ちゃん、お願い!私を女にして!!」


 ・夜勤病棟Krankeシリーズ第2弾(以下Kranke 2)。様変わりしてしまった夜勤病棟シリーズに関連して、今回は保守と革新について語りたいと思う。保守と革新という単語は主に政治の分野で用いられることが多い。私は保守と革新の意味を次のように考えている。
保守 = 過去にあったある物事に対して肯定的であること。革新 = 過去にあったある物事に対して否定的であること。ここで、「ある物事に対して」というのは重要である。だから、例えば、「自民党は保守である。」という表現は言葉足らずである。自民党は一般的に保守政党であるといわれているが、日本国憲法について考えてみると、彼らは改憲を唱えているので、日本国憲法に対しては保守ではなく、革新である。一方で、社民党や共産党は革新政党と認識されているが、日本国憲法に対しては、ばりばりの保守である。このように、全ての物事に対して保守であったり、革新であったりすることは有り得ない。もう一つ問題なのが、時間である。上記の保守と革新の定義では、現在と未来の言及がない。時間は物理学では明確に定義されているが、哲学的には古くからずっと議論がなされていることからも分かる通り、最も身近でありながら、最も捉えがたいものの一つである。だから、時間は哲学の素人である私ごときが簡単に扱うことのできる代物ではないが、素人が素人なりに考えても別に罰は当たらないと思う。私は現在 = 過去と認識している。フランスの哲学者、ベルグソンはこう言った。「現在は過去以外の何ものも含んでいない。そして、結果のなかに見出されるものは、既に原因の中にあったものである。」私たちは現在の状況を総括したり、反省したりするが、その時点でその状況というのはすでに過去なのである。私は現在Kranke 2のレビューを書いているが、Kranke 2を鑑賞したのはそれ以前の過去であるし、このレビューを投稿するころには、すでにそのレビューは私が過去に書いたものであるということができよう。なんだか上手く説明できなかったが、私が主張したかったのは、最初に書いたとおり、現在 = 過去という認識である。一方で、未来については、保守と革新を説明するのに重要である。上記の革新の定義では、未来について言及していなので、まだ意味として不十分である。だから、今一度ここで革新の定義をし直す。
革新 = 過去にあったある物事に対して否定的であり、かつそれを変革するのに積極的であること。要するに、革新主義者は未来を肯定的に捉えるのである。革新はこのように前向きで、プラスのイメージが強い。しかし、過激な革新は往々にして人々を不幸にする。
ロシアや中国の社会主義革命しかり、身近なところで言えば、小泉政権の構造改革しかりである。それでは、過去にあったある物事に対して否定的であり、かつそれを変革するのに消極的な者たちをなんと呼べばいいだろう。彼らはニヒリスト(虚無主義者)だろう。ニヒリストは無気力で自堕落であるといえる。それでもやはり、現秩序を破壊し尽くす危険な革新主義者に比べれば、無害な彼らはまだましなのかもしれない。次に、保守についてであるが、これも未来を肯定的に捉えるか否かで2種類に分かれると思われる。まず、未来を肯定的に考える保守は、過去にあったある物事に対して肯定的であり、かつそれを復帰させるのに積極的な復古主義者である。過激な復古主義者は過激な革新主義者と同様に人々を不幸にさせる。例えば、16世紀の宗教改革では、それがらみの戦争が数多く起こったし、宗教改革の主役の一人であるカルヴァンはスイスにて原始キリスト教を理想とした神権政治、いわゆる独裁政治を約30年間行った。彼に反発するものは否応なしに弾圧された。また、明治時代、日本では皇国史観に凝り固まった神道原理主義者たちが仏教を弾圧し、仏像を破壊して回った(廃仏毀釈)。復古主義者、特にその中でも過激な者たちは彼らが理想とする同時代の価値観やら生活様式の完全復帰を目指す。しかしながら、これは後の項目、進化と退化についてでも述べるが、過去の状態やあるいは勢いを完全に再現させることは、彼らの意に反して、残念ながら不可能であると私は考える。夜勤病棟Krankeシリーズは復古主義者たちにより作られたのかどうか私は知らないが、以前のシリーズと比べて質が落ち、製作者の意気込みもほとんど感じられなかった。もう一つ、未来を否定的に考える保守は、過去にあったある物事に対して肯定的であり、かつそれを復帰させるのに消極的な懐古主義者である。懐古主義者は「あの頃は良かったのに。」、「最近の・・・は駄目だ。」云々と老人的な考え方をし、未来を否定的に考えている点でニヒリストとの類似点が多いように思われる。
 保守と革新について述べたついでに進化と退化について語る。財界や政界に多い革新主義者たちは事あるごとに「変わらなければならない。」と口にする。だが、心配する必要は毛頭ない。世の中は人の意思の介入の有無にかかわらず、勝手に変わってゆくものだ。仏教の思想に諸行無常というのがある。古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスはパンタ・レイ(万物流転)という言葉を残した。万物は常に変化し、少しの間もとどまらないのだ。もっとも、人間が望むように世界が変化していくとは限らない。ここで、進化と退化という概念がでてくる。ある人にとって都合よく何かが変化したら、その人はそれを進化と呼ぶだろうし、一方で、その逆であったら、彼はそれを退化とみなすだろう。陸上競技の記録等、明確な数字で表せるものは例外として、とりわけ、人間の価値観(何が正義なのか?何が悪なのか?何が楽しいのか?何がつまらないのか?等)の進化と退化の判断基準は所詮、個々人のあるいは集団の感覚に依存する。これについて、日本語を例にとりあげて説明する。現在、特に若者に使用されている日本語は、昔に比べて進化しただろうかあるいは退化しただろうか?語彙の豊富さを観点にしてしまえば、間違いなく日本語は退化したと断言できるが、その一方で、若者がしばしば使用し、昔はあまりみられなかった単語、例えば、「マジで!」「ウゼー!」「キモい!」等の優劣の判断はどうだろう?それを不快と捉える人にとっては、日本語は退化したといえるし、それを何とも思わない人にとっては、ただの日本語の変化であろう。あるいは、これらの単語を当たり前の如く用いている人たちにとっては、進化退化を論ずる以前の問題である。ところで、以前のレビューにも何度か書いたが、私は日本語の中の女性語に敬意を表している。近年、アニメの世界では、女性語は衰退の一途を辿っている。女性語を使う女キャラの割合は熟女を除いて激減し、よしんば、女性語を使う女キャラがいたとしても、使ったり使わなかったりと、その安定度はかなり低いことが多い(最近、気づいたのだが、アダルトアニメは昔から女性語を安定的に使うキャラは少ない。昔といっても、90年代のアニメがほとんどだから、90年代にすでに女性語の衰退はかなり進行していたと考えたほうがよさそうだ。)。私は女性語の衰退という変化を遺憾に思うが、他の圧倒的多数の人間はこの変化についてどう思っているだろう?おそらく何とも思っていないだろう。もし女性語が近い将来完全になくなったとしても、それに気づきすらしない者たちも何人かいるはずだ。他方、女性語の衰退を進化と捉えている人たちが少なからず存在する。タイトルと著者名はすっかり忘れてしまったが、私は以前外国のある言語学者が日本語について綴っている書物を読んだことがある。そこには思わず失笑してしまうような記事が書かれてあった。日本語の第1人称についての言及である。「日本の女性が主に用いる第1人称はワタシ(or アタシ)であったが、近年女性の社会的地位の向上のためかワタシと言わずに僕あるいは俺という第1人称を用いる女性が増えてきたとのことだ。」指摘すべき部分が多い文章ではあるが、まずこの言語学者の主張で的を射ているのは、現在の実際の女が雑談時にワタシという第1人称を用いることは意外に少ないということだ。アタシという言い方に至っては皆無である(これはアニメor漫画のみに使われる表現だとみなしても過言ではないだろう。)。ただし、結びの部分が誤っている。僕あるいは俺という第1人称を用いる女は実際にはほとんどいない。その代わり、ウチという第一人称を用いる女が圧倒的に多い。このようにこの言語学者の主張は現実とかけ離れているためジャーナリズムとしての価値は全くないわけであるが、私は決してこの部分の揚足をとりたくてこの文章を引用したわけではない。この言語学者は、僕あるいは俺という第1人称のほうがワタシという表現よりも優れているとみなしている点に私は注目したのだ。綺麗な日本語、汚い日本語、聞き惚れる日本語、聞くに堪えない日本語、それらの判断基準は個々人の感性によりバラバラだと私は言いたかったのだ。
 私はこれまでの文章で保守と革新、進化と退化について自分がふと思ったことを取留めもなく書いてきたが、次に人間は価値観のために死ねるか?というテーマを投げかけたい。
私は死ねると思う。どんな人間でも特定の価値観を有している。そしてそれは、常時変化する実世界に対して常に隔たりがある。その隔たりが人間を革新運動や復古運動に走らせる動機となる。あるいは厭世的になる人間もたくさんでてくる。そんな中、過激な革新主義者や復古主義者の中には、自分たちの理想を実現させるためなら死んでも構わないと思う者たちが現れるのではないだろうか?一方で、悲観的なニヒリストや懐古主義者の中には、どうせ理想は未来で実現されないのだから死んだほうがましだと考える者たちが現れるのではないだろうか?人間は自殺できる唯一の生物だとされる。ただ、この文章だけでは説明不足である。人間も肉体に関しては他の生物同様絶対的に死を厭う。痛みの感覚や本能的な死の恐怖は如実にそれを語っている。しかしながら、人間の魂(そんなものが本当にあるのかどうかは疑問であるが。解剖学者、養老孟司の考えでは、魂 = 精神は肉体の一部である脳の一つの機能にすぎない。) は死の恐怖を超越することが有り得る。天皇のために死んでいった一部の特攻隊員たち、イスラムの価値観を絶対視する中東の一部の自爆テロリストたちはその例である。彼らは他人をも巻き添えにする過激な自殺を選ぶので、一般人からは狂気の沙汰と思われることが多いが、一方で、一人静かにあの世へ旅立つ者たちの数は決して少なくはない。日本では毎年3万人以上の人間が自殺する。彼らのほとんどは自分の思い描いている世界像と実世界の隔たりに絶望して死んでいくと私は思う(自殺の原因の多くは経済苦とされるが、元経団連会長、奥田碩が、「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない。」と言ったように、日本は今のところ恵まれているので、一文無しでホームレスになったとしても、すぐに死に直結するわけではない。経済苦の人間は、ホームレスになるくらいなら死んだほうがましだという心理が働いて自殺するのだと思われる。)。独特の価値観を有している者たちが多い芸術家に自殺者が多いのはそれが理由だと考えられる。革新主義者が好んで使う以下のダーウィンの言葉は、人間のみに関しては真実をよく言い当てていると思う。「生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知的なものでもない。最も変化に適応できる種が生き残るのだ。」
 さて、私はアダルトアニメに関しては現在完全に懐古主義者である。2003年くらいまでは、穏健な革新主義者あるいは復古主義者とでもいうべきか(といっても、私自身がアニメを製作するわけではないので、所詮は他力本願であるわけだが。) 、アダルトアニメの未来に期待をもっており、新作が発売される度にわくわくしてそれを鑑賞したものだ。しかし、今は違う。今はどのアダルトアニメを鑑賞するにしても、どうせ駄作にちがいないというネガティブな感情が必ずといっていいほど沸き起こる。結果は、いい意味で裏切られる場合がある。それでも、アダルトアニメの未来を肯定的に考えることはできない。その時たまたま出会った名作は、鑑賞を終えたとたんすでに過去のものとなってしまうからだ。予感通り、駄作だった場合は最悪だ。このアニメ、Kranke 2はまさしくこのケースに当てはまる。夜勤病棟シリーズには、過去の偉大な最高傑作、Karte. 6&8がある。同じキャラを使っているわけだから、夜勤病棟の新作はどうしたってこれらの最高傑作と比較されることになる。結果は、言わずもがな新作の惨敗である。経験の積み重ね(この場合は、アダルトアニメの鑑賞数)は時に人間から感動という感情を奪い去る。アダルトアニメを見始めたばかりのころは、たわいない作品にすら新鮮さやエロさを感じとることができた。しかし、いくつかの名作に出会うにつれ、私の要求するエロさのレベルはどんどん高くなっていった。そしてある意味で、それの頂点に立ってしまったのが、夜勤病棟Karte. 6&8である。
以後私は新作を見る時、過去の作品群よりもエロいものを期待するといったことがほとんどなくなってしまった。その分、その虚無的な感情が裏切られた時には一入の感動が待ち受けているわけであるが。もっとも、近年ではそんな気持ちを味わわせてくれる名作は少なく、Kranke 2を鑑賞した後に感じたような虚脱感を私に与える作品が多い。そこで、私はしばしばこう思ってしまう。「昔は良かったのに。」と。完全な懐古主義者というわけである。
 さて、最後に本題であるKranke 2の具体的なレビューを行う。まず、作画のレベルであるが、素人目から見てもかなり低いことがわかる。物語の序盤に児玉ひかるが比良坂竜二により木に逆さ吊りにされ、犯されるシーンがある。これは作画の駄目さ加減が最も目立つシーンの一つである。竜二とひかるの全身を遠目で描写しているワンカットは特にひどい。遠近感が無茶苦茶で、かつ肌の色は単純なベタ塗り、細かい描写が必要とされる関節部分は適当そのものである。よって、立体感を上手く醸し出せず、木に吊り下げられているひかるが、まるでゲゲゲの鬼太郎にでてくる一反木綿のように見えてしまう。形式的存在に堕した脱糞描写はもはや評価にすら値しない。今回は、浣腸液をチューブで注入されながら、ロープに逆さ吊りにされたひかる(そう言えば、Karte. 5にも似たようなシーンがあったような・・・それにしても今回の製作スタッフは逆さ吊りが好きなようだ。)が、脱糞のシャワーを披露する。これがまた適当描写で、排出される糞はただの黄色い霧のようにしか見えないし、逆さ吊りの状態での排便だから、肌や服に糞がべったりと付着してもよさそうだが、まるで水分をはじくフッ素樹脂コーティングのように、綺麗さっぱりである。アニメでの脱糞描写は突き詰めれば、崇高美に達すると個人的には思うのだが、脱糞描写の先駆者、ディスカバリーが今やこのような状態であることから、もう未来永劫実現はしないと思われる。ストーリーに関しては、愛がどうのこうのという話に終始しており、脈絡がない。これはKarte. 6以降夜勤病棟シリーズがずっと引きずっている慢性的であり、かつ深刻な病状である。Karte. 6-10に関しては、エロ描写に全く関わらない刑事たちまで出てくる三流ドラマくさい演出を製作者が自己陶酔していたようにみえたので、そこが非常に鼻に付いて嫌だった。一方で、Krankeシリーズのストーリーは、多くのバニラ作品と同じように、ネット用語を用いれば、いわば電波的で、滑稽なイメージを醸し出しているので、不快を通り越してもはや同情心すら芽生えてきた。それにしても、製作者はなぜ恋やひかるをはじめとする主要女キャラが竜二を好きになることにここまで執拗に拘ったのだろうか?そしてそんな彼女たちの思いに、例え演技であろうと、素直に応じてしまうキャラクターに竜二を仕立て上げてしまったのだろうか?竜二は、女キャラのエロさを高めるためには、どんな鬼畜行為をもためらわない純粋な性犯罪者であって欲しかったと私は思う。今回の竜二は積極的なひかるやあいにおされて存在感が希薄であった。話は変わるが、私は最初竜二をブサイク系主人公だとみなしていた。しかし、なかなかどうして見方によればハンサムに見える。彼の特徴は、長身、長髪、眼鏡であり、頬骨さえでていなければ、インテリ眼鏡キャラとしてボーイズラブの世界でも十分やっていけるのではなかろうか。事実、Karte. 9-10にでてくる若いころの竜二はなかなかの色男であった。ちなみに、私はこっち系の世界には全く興味がないということだけは誤解のないように断っておく。
本作でおそらく最初で最後のエロデビューを果たした児玉あいはかなりの電波系キャラであるという印象を受けた。彼女が、前作Kranke 1にて竜二とひかるのセックスを垣間見てしまったことにより卑猥な気持ちになったことはわかる。ただし、竜二に犯されたいとまで思うようになってしまうのは思考の飛躍がすぎるのではなかろうか?せっかくデビューを果たしたあいではあるが、悲しむべきかな、彼女のエロシーンはオナニー、ひかるとのレズプレイ及びフェラ程度である。竜二はあいの膣に自分のペニスを挿入する気配すらなかった。どうしたのだ、竜二?彼らしくない。私は今回の件で彼を完全に見損なってしまった。あいについて印象的だったのが、病院個室での彼女のオナニーシーンである。彼女はパンツ一丁でオナニーを行い、そして絶頂に達するのだが、運の悪いことに、その後心臓発作が起きてしまう。幸運なことに、自力で酸素マスクをつけて、どうやら発作は自動的に収まったみたいだが、もしあの時、そのまま死んでしまっていたとしたら?あるいは看護婦か誰かに苦しんでいるところを発見されてしまったとしたら?パンツ一丁の状態で生死をさまよっていた彼女の心境はいかがなものであったのだろうか?ここは、笑うべきシーンではないが、失礼なことながら、私はふきだしてしまった。
 レビューの序盤で、アダルトアニメとほぼ無関係なことをだらだらと書いてしまったことを申し訳なく思う。ただ、私がアダルトアニメを評価する上で支えとなる思想、いわばバックボーンのようなものをどうしても文章で表現したかったといことだけは忘れないでいただきたい。最後に、この作品の抜ける度は1である。Kranke 2は夜勤病棟を、シリーズをおって見てきたものにとっては、まさしく諸行無常を感じさせる作品となっている。(りぷとー)
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