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懲罰予備校(全二巻)

懲罰予備校(全二巻)
yobiko.gif(2004)

ストーリー・島津は不祥事を起こして馘首された不良教師。再就職もままならず、腐る彼に、ある私学から思わぬ誘いがかかった。何とその学校の女生徒を調教するための講師にならないかというのだ。


 ・2004年度にバニラレーベルから頒布された作品で、PCゲームが原作のようです。
 内容的にはよくある鬼畜学園モノで、女生徒を性調教して奴隷に仕立て、ニーズに合わせて社会に送り出していくというとんでもない学校があり、主人公はそこの講師になって調教に精を出すというだけのモノ。
 見たところ「懲罰」でも「予備校」でもないのですが、あるいは原作ゲームと設定が変えられたりしているのかもしれません。
 さて本作の美点はそのビジュアルです。
 バニラレーベルと言えばどうも作画がチープという印象があるのですが、本作はまずまず力が入っており、濡れ場でもちゃんと人体が動いているので安心して見られます(そんなこと、本来は当たり前なんですが)。
 女の子たちも皆可愛らしく描かれており、表情もエロ味が出ているのは評価するべきでしょう。
 一方で抜き用エロとしては弱い感もあり、それは調教されていく女の子達の心情がぞんざいにしか追われていないからだと思います。
 「犯される!→怖い、イヤ!→でも段々感じてくる→ああどうすれば良いの?もうダメ!」と段階を踏んでくれれば萌えますが、「犯される!→痛い!→あ~でもやっぱキモチイイ」とお手軽ですので、被虐感というのは皆無です。それは難かなと。
 とは言え前述の通り作画はイイですし、色んな女の子や女教師と次々交わるバラエティ感も楽しいですから、学園エロとしてそこそこ及第ではありましょう。
 またスカシーンがあるものの、ウンチを直接映さない、上品な演出になっているのは個人的に好感を持ちました。
 「抜ける度」は2と少し。(彩雲11型)
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超能力少女バラバンバ

超能力少女バラバンバ
(1985)

ストーリー・異次元からやってきた少女バラバは、行きずりの青年ジョーと出会って互いに引かれ合う。バイクのガス欠で泊まることになった山中の洋館で結ばれる二人。しかし異次元からの追っ手がそこへ現れて・・・。


 ・どうも廃人です。

まず、このビデオが置いてあった場所。
ハードオフの、一般ビデオ棚です。
「一般ビデオ」と勘違いされる様な名前・・・まあほぼジャンク扱いなのでこれでいいでしょうw

イボイボ様のレビューの通り、原作は永井豪原作ですが・・・
原作を見ていなのでキャラの顔とか属性とか分からないですが、はっきり言えます、まったく似ていません。
元々似せる気が無さそうです・・・ワンシーンでハレンチ学園に居たようなキャラクターが居た気がしますが、それもおまけ程度でしょう。

ストーリーは富士アートの「宇宙元年」にしろ何処の会社だか知りませんけど「OME-1」にしろAVA創成期(今、考えた)に埋もれていったC級作品に有りがちな、SFです。
宇宙から逃げてきたバラバとそのお付の関西弁を喋るマスコット妖精(多分あまり出番無し)。

しかしこの、元来の姿が適当にグロいと言うかヘンチクリンなので地球の女の子に姿を変えますが、そこでチンピラ三人組に見付かり強姦されかけるもさっきから見ていたジョーがバラバを助けに来て・・・は見たのですが、またこいつも倒され結局バラバの良く分からない能力が発揮され、強姦三人組消滅。

そんで、ジョーと仲良くなったバラバは一緒にバイクに乗って移動するのですが諸般のトラブルで山中の洋館に避難。
今度はそこに淫乱三人娘が居て、夜中にレズ三昧、それをのぞいたジョーも発情しバラバと合体、そこへ化け物の様なバラバの追っ手が洋館に登場・・・
気付いて出てみると、追っ手が三人娘とやってる最中。

適当にやりあった後、バラバの能力が発揮、追っ手たちは消滅。
最後は何だか良く分からない再会?でお話は終了。

ちょっと、音質の問題もあり、何度か巻き戻してみてみたりしましたが
こんな様子です。
動きはそんな悪くありませんが・・・

エロシーンは上述の通り沢山ありますが、如何せん画質が悪く、しかも絵もアニメ絵ではありますが、垢抜けない。
ただ、一応グロい魔物(精々ギャグレベルから脱したような物ですが)が女の子を犯す事は犯すので、異性物物が好きな方には向いているかも知れません・・・当然、太古の作品ですが。

抜ける度は、一応1.5としておきます。

では。(廃人の廃人)




 ・永井豪原作のエロアニメ第1号なのだが、どうにも垢抜けない仕上がり。内容は凄まじく馬鹿馬鹿しくて永井豪のナンセンスなノリが出ているとも言えるが、ストーリーは原作とは相当に違う。氏の健康的なエロチシズムが再現されていないのは痛い。
 作画はそれほどひどくないが、何やら「モスピーダ」をヘタクソにしたようなキャラ設定には少しもそそられない。何より主人公がもともと異生物なので、「イヤ~ン」なんつっても見ている方は拍子抜けだ。
 エロシーンは何やらアングラ調だし、当時よくあった「不思議オメコオチ」にもウンザリだなあ。ラストの再会シーンは感動して良いのか笑って良いのか・・・。
 「抜ける度」は1。(イボイボ)

超神伝説うろつき童子 未来篇(全四巻)

超神伝説うろつき童子 未来篇(全四巻)
uro-m.gif(1992~1993)

ストーリー・破壊の使者、南雲は世界を瞬く間に半壊状態に陥らせた。それから、20数年後、人々の生活は再び秩序を取り戻しつつあった。このような状況下、大阪城で超神が降臨する。「100年後に降臨すると約束したのに、なぜ?」こう問いただす天邪鬼に超神が答える。「東国(関東地方?)で狂王が降誕した。悠長なことは言っていられなくなった。」子供の姿で、未だ力が不完全な超神は、狂王を大阪城に近づけないように天邪鬼に命じる。命を受けた天邪鬼は直ちに東国へ駆けつける。彼がそこで見たものとは・・・


 ・うろつき童子シリーズ、第3段。正式名称は超神伝説うろつき童子 未来篇(以下、未来篇)で、全4話構成である。前シリーズまでの古典的な学園物の世界観から一変し、よりSFチックな作風となっている。路線変更により従来のファンからは賛否両論があり、かつ大味な展開が目立ち、唐突なイベント、前後関係の矛盾、伏線の乱発(もちろん、ほとんどが未消化で終わる。)が当たり前のようになってしまっている欠点をも有するが、視聴者を引き付けるカリスマ性は依然健全である。今回のレビューでは、一つ一つの展開に意見するというスタイルでやっていこうと思う。よって、未来篇を既に見た人向けのネタバレレビューであることをご承知願いたい。
 「第一話 真超神の誕生」の冒頭は、7分強、前回までのあらすじ、その後の5分強、南雲が世界中を混沌で覆うシーンで占められている。随分と長いプロローグで、なんと本編に突入するのが、13分後である。本編は世界崩壊後、20年経った時の話である。舞台は日本(だった場所)である。南雲の破壊活動は、描写が仰々しかった割には意外にも小規模であったようで、旧秩序は崩壊したが、生き残った人々は細々と生活をしており、しかも新しい勢力がすでに誕生している。ユダヤ・キリスト教の神は旧秩序を壊すとき、自分が選んだある特定の人間だけを救済する。例えば、創世記のノア、ロトの逸話はあまりにも有名である。また、ヨハネの黙示録では、額に神の刻印を押された者のみ、患難期にて加護があることが示されている。対照的に、うろつき童子の世界の超神は、誰々を生き残らせようという明確な意図はなく、at randomに人々の殺害や建築物の破壊を行ったようにしか見えない。
 未来篇のキーワードはシーザーズ・パレスと魔獣(まけもの)である。シーザーズ・パレスとは廃墟となった東京に新たに建てられた宮殿で、その近辺の領土をシーザーと呼ばれる男が支配している。未来篇は、主にこのシーザーズ・パレスを舞台に進んでいくのだが、この舞台設定には突っ込みどころがある。それは、シーザーズ・パレスの科学技術力が世界崩壊前のそれよりもはるかに勝っているところである。南雲覚醒が1980年代後半の日本であることを考えると、未来篇の舞台は2000年代後半、まさしく現在我々が生きている時代である。現実では、もちろんこの間に世界崩壊など起こるはずもなく(激動の時代であることにはちがいないが)、時は推移していった。科学技術を発展させるには、それなりの経済基盤が必要である。研究開発には、設備にしろ材料にしろ莫大な費用がかかる。それを支えるだけの十分な財源が求められる。もう一つは、人々が研究開発をするモチベーションが必要である。それはやはり金だろう。利益が出る見通しがなければ、研究開発なんて誰もしない/できないに決まっている。アダルトアニメが現在技術的にも全くさえないのは、制作するのに多大な手間隙がかかるにも関わらず、利益がほとんど得られないからであろう。利益が出ないから制作費をけちる。制作費をけちるからアニメの質が落ちる。質が落ちるから、客離れがますます進み、さらに利益が出にくくなる。察するに、現在のアダルトアニメ業界はこのようなスパイラルに陥って、抜け出せないのだろう(アダルトアニメが没落していったもう一つの原因は性的表現の過度な規制にあると私は考えている)。以上のことから、南雲により壊滅的な打撃を受けたうろつき童子の世界で、科学技術が発展する余地などどこにもないのである。よって、南雲の破壊活動とその後に突如として現れた超科学文明との時間的繋がりがどうもしっくりとこず、最初は鑑賞していて違和感を覚えずにはいられなかった。未来篇はハイテクSF物にするのではなく、ロストテクノロジー物にするほうが自然であったように私は感じる。
 次に、もう一つのキーワード、魔獣について述べる。彼らはシーザーら支配層に強制的に重労働をかせられている被差別種族である。彼らの外見は基本的には人間と似通っているが、ストリートファイター2のブランカのように肌の色が緑色の男がいたり、ドラゴンボールZのフリーザ第3形態のようにやたら頭が長い男が確認されたりすることから、ファンタジー物にしばしば登場する亜人と呼ばれる種族に通ずるものがある。そして彼らの最も特徴的な部分は、臀部に尻尾のようなものが生えており、実はこれが彼らの男性器で、性的に興奮すると、触手のように長く伸びるところにある。うろつき童子の世界には人族、魔人族、獣人族の3種類の種族がいることが知られているが、なぜ未来篇になって魔獣という新種族が突如として登場したのであろうか。私が考えるに、彼らは魔人族の代わりなのだと思う。魔人族は、初期3部作や魔胎伝をみればわかるとおり、絶大な能力を誇っており、非力な人族が彼らを支配する設定には無理がありすぎる。かといって、異形のものが触手を用いて女体を弄るというシチュエーションは捨てがたい。おそらくこういうジレンマがあって、異形ではあるが、能力が人間とはほとんど変わらない劣化版魔人族、魔獣という種族が導入されたのだろう。とはいっても、彼らの中には、飛行能力をもっている者もおり、実は、身体能力は人間をはるかに勝っているのではないかと疑ってしまう。未来篇は、被支配層である彼ら魔獣の政治的反乱を一大テーマにしていると考えられる。
 未来篇に登場するメインキャラクターについて述べる。未来篇の主人公は武獣(ぶじゅう)と呼ばれる魔獣の無頼漢である。物語冒頭で、天邪鬼は彼こそが狂王であると勘違いしていた。天邪鬼は初期3部作においても尾崎を超神と勘違いしていたことから、随分と早とちりな性格のようである。ただし、今回の勘違いに関しては、無理もない部分もある。なぜならば、武獣は東国(あずまのくに)で東の狂王と呼ばれて恐れられていたからである。彼は人族の部落を単独で襲っては食糧、金品財宝をかっさらい、性欲を持て余したら、有無も言わせず、女をレイプする、要するに、典型的な極悪人である。魔胎伝の主人公、武明はどこか繊細で大人しげな印象の強い男であったが、それとは対照的に、武獣は物語序盤から妥協の無い悪役ぶりを見事にこなしている。ただし、初期3部作の主人公、南雲がヘタレから一変して、逞しげな男に変貌をとげたように、物語中盤以降、武獣は性格もすっかり丸くなり、悪党からとたんに豪胆無比が売りの典型的なRPGの勇者のような性格に様変わりする。とはいっても、自分と敵対する者たちに対しては、問答無用で息の根を止めようとする情け容赦の無さには変りがない。豪胆無比な英雄と傍若無人な極悪人は正反対のようで実は同類なのかもしれない。人物評というものは、その人物のもつ思想・イデオロギーに賛同するかしないかでころっと変わってしまうものである。そういえば、一昔前、RPGの正義の味方 = 勇者を批判的に描写しているゲームに「MOON(アスキー(現エンターブレイン)、1997)」というのがあった。このゲームは独特な雰囲気をもっており、典型的な勇者像に対する風刺もきいていて、なかなか趣があったのを今でも覚えている。
 未来篇のヒロインは、アレクトーという女である。彼女はシーザーズ・パレスのボス、シーザーの娘であるとされている。なぜあいまいな表現を使うのかというと、これは「第2話 シーザーズ・パレスの謎」でわかることなのだが、彼女は、実はシーザーの愛娘、故アレクトーをモデルとして造られたヒューマノイドだからである。彼女の見た目は驚くべきことに、生身の人間と全く変わらない。それどころか、人間と同じような思考能力をもち合わせているし、なんと子供まで産めてしまう仕様のようだ。この設定だけでも、シーザーズ・パレスの突出した科学技術力を説明するのに十分である。アレクトーの性格を一言で表すと、受身である。個人的には、受身な女キャラは好ましいと考えている。うろつき童子シリーズを私がすばらしいと感じる所以の一つに、ヒロイン選定のセンスの良さが挙げられる。ただし、ストーリーの流れからすると、彼女の取る行動には不可解な点が目立つのは残念だ。まず一つ目が、彼女がパレスに捕らえられた武獣に外界に連れていってほしいと懇願するところである。彼女は箱入り娘であり、生まれてから(製造されてから)一度も外界に出たことがない。だから、外界を見てみたいという気持ちは分からないでもないが、なぜならず者で罪人の武獣にやくやく頼むのか疑問が生じる。案の定、アレクトーは、道中偶然に立ち寄った古寺で武獣に犯されてしまう。そしてこれが2つ目の不可解な点だが、武獣が追手に襲われた時、アレクトーは自分自身が汚されたにもかかわらず、体をはって武獣を守ろうとする。その結果、彼女は重体になる(故障する)。彼女はヒューマノイドのため、シーザーによりすぐさま復旧される。3つ目のおかしな点は、武獣が再びシーザーズ・パレスに侵入した時、彼女は喜び勇んで彼に会おうとし、また厄災に巻き込まれる。彼女の性格は受身と書いたが、武獣に対する恋愛のみに関しては、むしろ積極的であるといえる。彼女の行動は武獣を愛するがゆえと説明されるのかもしれないが、彼女が武獣を好きになる過程が全く描かれてないから、行動の一つ一つが不可思議に見えてしまうのである。この間、武獣がアレクトーに対してとった行動といえば、レイプくらいしか思い浮かばない。ストーリー展開において、武獣のレイプとアレクトーの献身的な行為がどうしても繋がらないのである。そういえば、初期3部作においても、南雲と明美は何の説明もなく、いつの間にか恋愛関係になっていて、ちょっとしたもどかしさを覚えた。説明不足は1話約45分完結のOVAの宿命なのかもしれないが、前シリーズのおさらいを7分もやる余裕があるのなら、こっちに力を入れてくれと言いたくなってしまう。アレクトーに関してもう一つ書いておきたいことは、彼女はなんと第2話で近親相姦されてしまう。
 「やめて!お父様」嫌がるアレクトーをよそに、シーザーは自分の肉根を彼女の二穴に挿入する。私は近親相姦にはそそられないから、このシーンが特別印象に残ったというわけではないが、アレクトーはヒューマノイドだから、シーザーとは血がつながっていないので規制しなくても良いと制作者は判断したのだろうか。血がつながっていないといえば、「愛・姉妹(ピンクパイナップル)」を思い出す。あれは父とも母とも血がつながっていないのみならず、姉と妹も血がつながっていないといういったいどういう家族だと突っ込みを入れたくなるような設定であった。考えてみれば、実の親子の近親相姦(レズ描写を除いて)をアダルトアニメで私はほとんど見たことがない。「カナリヤは籠の中(ミルキー、2003)」でマナが借金苦で狂った親父に犯されたエピソードくらいしか思い浮かばない(短くて、挿入描写すらないが)。話はそれるが、この作品はエロくて、なかなかおすすめである。
 次に、シーザーについて述べる。レビュー冒頭で述べたように、シーザーは東国を統べる、いわば大名のような存在である。彼の権力がどこの土地まで及んでいるかは、残念ながら物語中ではわからない。ただし、一つだけ言えることは、シーザー領土にしろ、超神のおわす場所にしろ日本列島なのである。次シリーズのタイトルが放浪篇「英語名:INFERNO ROAD」という名前であることから連想するに、シーザー領土から超神の拠点、大阪城まで果てしのない距離があるように思えてしまうが、何のことはない東京から大阪までの短い道のりしかないのである。未来篇及び放浪篇は、その舞台として狭い日本列島に拘りすぎたために、南雲の破壊活動は日本だけだったの?やら、放浪篇での武獣たちの冒険活劇は大げさな割には、東京→大阪縦断に過ぎなかったの?といういらぬことが頭をよぎってしまい、気分が幾分萎えてしまった。私は当初、「東国」、「東の狂王」というキーワードが物語中で連呼されていたにもかかわらず、シーザー領土は中国大陸のどこかにあると勝手に思い込んでいた。やはり物語の壮大さを醸し出すためには、日本列島という狭い土地に拘らず、外国まで舞台を広げるべきだったと思う。シーザー(彼はおそらく外人であろう)や魔獣たちが出てくる未来篇において、舞台が日本であることに固執する理由は一つもないのである。シーザーズ・パレスは中国大陸のどこかにあるという設定にしておいて、次シリーズ、放浪篇は武獣たちの前途遼遠の征東にしたほうが、よっぽど空間的なスケールが増大したように私は思う。話をシーザー本人に移す。シーザーの世界崩壊前の立場は、どうやら現実において陰謀論者が声高に叫ぶフリーメイソンやイルミナティを連想させるような秘密結社のリーダー的存在であった。彼の組織(といっても物語中では、彼以外、下級会員らしき者たちしかでてこないが)はすでに卓越した科学技術力を有しており、シーザー本人は自身をサイボーグ化して、半永久的に生きることが可能のようだ。彼は日本政府をも影で操っており、東京の地下の研究所で超神に関する研究を秘密裏にやらせていた。ここで、話はそれるが、私は陰謀論が好きである。その中でも、特に政治や歴史の陰謀論に興味がある。陰謀論は一般的には、トンデモだと一括されて嫌悪あるいは嘲笑される傾向があるが、私はその内容によっては十分に示唆に富み、価値のあるものだと考えている。それでもやはり、トンデモはたくさんあるわけであり、それを見分ける一つの指標があるように思う。それは端的に表現すれば、擬似科学が含まれているか否かである。
 擬似科学は、行き過ぎた科学信仰(私は一般的に認められている科学すら信仰にすぎないと思っているが)により生じた空論であると私はみなしている。だから、高周波活性オーロラ調査プログラム(HAARP)で地震やらハリケーンやらを創出できるだとか、中国で一時期流行った流行風邪、SARSは何者かが作り出したウイルス兵器であったなどと考える陰謀論を私は全く信用していない。人間は(他の生物もそうだが)破壊活動は得意であるが、何かを創造することは苦手である。人間は科学技術により自然をもある程度支配できるようになったと主張する者たちがいるが、それは傲慢というよりはむしろただの自惚れである。人間は単細胞生物一匹すら創れはしないというのに。話を元に戻す。シーザーは自惚れて(サイボーグにヒューマノイド、あれほどの科学技術力を有しているので、倨傲になって当然とはいえるが)、超神を超えた存在になろうとした。ご多分にもれず、シーザーは傲慢の罪で超神に裁かれることになる。彼は唯一の愛娘、アレクトーを失う。その後のシーザーの消息は世界崩壊後、20数年経つまでわからない。しかし、南雲の厄災を逃れ、廃墟と化した東京にシーザーズ・パレスを建てたことは間違いない。このあたりの描写は完全に省略されてしまっているので、残念である。シーザー関連でもう一つ言いたいことは、秘密結社のリーダーをやっていたころは、若くて、スマートで、色男なのに、シーザーズ・パレス領主のシーザーは、老醜で、かつ醜く太っている。彼はサイボーグなのだから、おそらく顔貌や体系のパーツを自由自在に変えられるはずなのに、なぜ怪異な容貌のままでいるのか謎である。
 次に、ミュンヒハウゼンについて述べる。彼は魔胎伝からの登場人物であり、今回は名目上シーザーに仕える宮廷のお抱え魔導師を演じている。シーザーからはファウストと呼ばれて、信頼されている。彼はシーザーと同様にその外見が昔と様変わりしている。顔は老け(実年齢は80歳くらいか)、左目は義眼、右手は義手である。魔胎伝での天邪鬼との死闘で、彼がいかに重傷をおったのかが伺える。今回も彼は狂王に拘っており、超神打倒の野心は消えていないようである。シーザーも懲りずに超神打倒を企んでいるようで、彼らは共通する野望のため、結託したのであろう。ミュンヒハウゼンの見せ場は、「第3話 シーザーズ・パレスの崩壊」での天邪鬼との死闘である。シーザーが超神打倒のために大阪城目掛けて6本の核ミサイルをはなつ。核ミサイルの上に搭乗するミュンヒハウゼンの前に天邪鬼が立ち塞がり、彼らはバトルとなる。バトルシーンは初期3部作のころからうろつき童子シリーズを盛り上げる十八番であり、このシーンは未来篇の中でも屈指の見せ場であると考えられる。ただし、バトルの終結の仕方がなんともはや強引で中途半端なのは残念なところである。シーザーは核ミサイルの他に南雲に殺された人々の怨念の塊を集結させた最終兵器「ファブネル」をも大阪城に向かわせていたのだが、魔胎伝のレビューでも少し触れたように、超神に操られた天邪鬼の妹、恵が物凄い勢いでファブネルに衝突し、ファブネルはシーザーズ・パレスまで押し戻され、大爆発を引き起こす。このような大惨事にもかかわらず、天邪鬼と恵はほぼ無傷というご都合主義的な展開である。ひどい扱いを受けたのが、ミュンヒハウゼンで、彼は恵の高エネルギーによる衝撃波で吹っ飛ばされたのかあるいは逃げたのかはわからないが、その場で消息を絶つ。私は「第4話 未知への旅立ち」で彼は再び現れるのだろうと思っていたが、結局最後まで音沙汰がなかった。
 これは次シリーズのそれも最終話でわかることだが、彼はどうやらあの衝撃波で吹き飛ばされていたらしく、水 (海or湖?) の中で腐乱死体となっていた。それでもアンデッド?として生きているのだから、彼の魔力には恐れ入るが、魔胎伝の時と似たような彼のあっけないやられっぷりとその後のぞんざいな扱われ方を見ていると、彼は本当に愛すべきヘタレキャラだと私には思えてならない。
 最後に、狂王について述べる。狂王の名は魔胎伝でも触れられており、ミュンヒハウゼンが追い求めている人物(神)である。彼が言うには、狂王はこの世に破滅をもたらす超神をも超える存在であるそうだ。狂王は魔胎伝ではその姿をおがむことができなかったが、未来篇で初お目見えする。狂王の登場の仕方は唐突で、武獣たちが訪れた古寺にて黒子族によって匿われていた。狂王は乳飲み子の姿をしており、黒子族からはヒミと呼ばれていた。
 外見から判断すると、一物がないので、性別は女だということがわかる(もちろん、スジは表現されていないが(笑))。このシーンは、乳飲み子の裸体すら児童ポルノ認定されてしまう今のご時勢では考えられない珍貴な描写なのかもしれない。ここで、黒子族について述べる。マスコットキャラ的存在だったので、今までのレビューではあえて言及してこなかったが、初期3部作と魔胎伝には、天邪鬼の子分で、黒子と呼ばれるキャラが存在する。
 外見は小柄で、肌の色は灰色、例えるなら、まるで地蔵のようなキャラクターである。空を自由に飛べたり、バリアを張ったりすることができることから、種族は魔人族に分類されると推測される。彼らの一族は、魔胎伝の一シーンより狂王伝説と深くかかわっているようだが、どうやら伏線だけで終わってしまったようだ。未来篇においても、狂王(以下、ヒミという)がなぜ名も無き古寺におり、黒子族の世話になっているのか全く説明がない。
 ヒミがこんなにあっさり、何の前触れもなく現れてしまっては、あれほどまで大掛かりな召喚儀式を行ったミュンヒハウゼン親子が報われないというものだ。ヒミは第3話にてまるでかぐや姫の如く急激に成長を遂げる。そしてここが未来篇の中で私にとって最も衝撃的だったのであるが、乳飲み子から少女へと姿を変えたヒミの体が実に幼い。彼女の胸はほぼまな板で、ドラえもんのしずかちゃんのそれよりもおそらく小さい(しずかちゃんが小○5年生と考えると、ヒミの年齢は小○3 ~ 4年生くらいか)。今までのところ、エロゲー及び漫画(特に漫画)と比べて、アダルトアニメは元来よりロリ規制が厳しい。私は数多くのアダルトアニメを見てきたが、ヒミほど胸がまな板のロリキャラの裸体はほとんど見たことがない(正確にいうと、哀・奴隷(バニラ、1997)の主人公、レイチェルの幼いころの入浴シーンが同タイトル第1話の冒頭に少しだけある)。 大の男が数人近くにいるにもかかわらず、ヒミは裸のままで全く恥ずかしさを感じていないようである。このあたりはヌーディズムを彷彿させる。その男衆の中に、武獣も含まれているのだが、第1話の悪党だったころの彼であったのなら、間違いなく「うまそうな童女だ。いただき!」などと言いながら、ヒミをレイプしかねないだろうが、すっかり正義の味方になってしまった彼は、泣きじゃくるヒミに対し、「泣くな、ヒミ。」と優しくいたわり、まるで彼女の父親のようである。
 武獣の子と言えば、第3話にて、魔獣の反乱で没落していく自国を前に絶望したシーザーとシーザーズ・パレスの地下にある巨大コンピューターとの対話を思い出す。このコンピューターはとんでもない代物で、未来を予測することが可能である。コンピューター曰く、「魔獣(武獣)とヒューマノイド(アレクトー)の間に授かった子供は超神の干渉を越えて、この世界を動かしていく云々」物語中で淡々と語られているこのセリフは、未来篇の中でも最も重要な伏線の一つであろう。ただし、この伏線は以後のシリーズで完全に無視され、武獣の子は結局一度も出てこなかった。超神、狂王そして武獣の子と超越的な存在が3者になると、ややこしくなってしまうからであろうか(コンピューターがただ単に未来予想をはずしただけだとしたら失笑物だが)。この伏線無視は、細かい突っ込みですませられるような話ではないと思う。武獣とアレクトーとの子がヒミ(= 狂王)という設定にしたほうがよかったと私は考える。南雲と明美が超神を誕生させたように、武獣とアレクトーが狂王を誕生させるという設定で、物語の主人公とヒロインが超越神の親となり、彼らだけでなく、世界そのものの運命が彼らの子によって翻弄されてしまうという初期3部作のデジャヴのような展開にすれば、視聴者にもわかりやすく、伏線破綻も起こりにくかったのではないかと推測する。まあ、なにやかやで、ヒミはかなり良い萌えキャラだ。未来篇のヒロイン、アレクトーが(彼女も魅力的なキャラクターであることにはちがいないが)どうでも良くなってしまうぐらいだ。ヒミは制作者が狙ってだしてきたロリキャラだろうが、見事にあたったといえる。上記の記述と明らかに矛盾するが、超神だの狂王だのそういった設定などもうどうでもいい。以後のシリーズのタイトルを「超神伝説うろつき童子」改め「魔法少女ヒミとその愉快な仲間たち」に変えて、コミカル路線にしたほうがどれほど有意義であっただろうか。なぜこんなことを書くのかというと、以後のシリーズは、シリアス路線に固執したためか、ヒミという魅力的なロリキャラを全く生かしきれなかったし、超神や狂王に関するエピソードも結局未消化のまま終わってしまったからである。
 さて、未来篇のエンディングは、うろつき童子シリーズの中で最も優れていると私は思う。シーザーズ・パレス陥落、人族と魔獣族の争いによるおびただしい数の死傷者、ハッピーエンドとはほど遠いが、深い傷を負った魔獣の戦士に水を与えようとする人族の少年の描写は、絶望的な状況ながら、かすかに希望の光がともされ始めたことを暗に意味しているといえる。例えるならば、第2次世界大戦敗戦直後の日本のようだ(戦後経済大国として繁栄した結果を受けた後付論にすぎないわけであるが)。エンディングでは、メインキャラクターたちがぞくぞくと集結する。武獣に、ヒミ、そして今まで触れてこなかったが、魔獣反乱軍のリーダー的存在、ルドル、魔獣族の長老であり、知恵袋のガシム、まだ子供だが、勇敢さなら誰にも負けないイダテン、シーザー軍の秘密兵器、サイボーグのD-9らが超神のいる大阪城を目指す。神1人、魔獣族4人、サイボーグ1人と普通の人族が一人としていない濃いメンバーだが、いずれも魅力的なキャラクターばかりである。彼らが旅立つ様は、さながらRPGでよくありそうな、メインキャラクター集結→心機一転、ラスボス打倒のために新たなる旅立ち、を彷彿させる。うろつき童子シリーズのエンディングはなんとも後味の悪いことが多いが、未来篇のみに関しては、すかっとした爽快感を感じる。
 後の駄作のオンパレードを考えると、このまま潔く打ち切りにしてくれたほうが、有終の美を飾れて良かったとさえ思えてしまう。ここで細かい突っ込みを入れると、反乱軍のリーダー、ルドルだけは東国に残ったほうが良かったのではなかろうか。シーザーズ・パレス陥落の目標は達成できたとはいえ、人族との和平、東国の復興と残された問題は山済みされていると思うのだが。旧秩序を破壊するだけ破壊しておいて、後は一切関係ありませんでは、リーダーとしていかにも無責任だと私は思った。肝心のヒロイン、アレクトーはエンディングでどうなったのかというと、武獣の大剣で一刀両断された父親(造りの親)、シーザーの生首といっしょになぜかスペースシャトルで地上を離れる。彼女は考えようによっては、うろつき童子シリーズの中で最も悲劇なヒロインであるといえる。まずは、超神の裁きで殺される(このアレクトーはヒューマノイドのアレクトーとは別人だが)。次に、主人公にレイプされる。そんな主人公をかばって仮死状態になる。主人公を慕うさまに父親が逆上し、父親にすらレイプされる。挙句の果てには、魔獣反乱軍のごろつきどもの一物でたらいまわしにされる。とどめとして、最愛の父親(レイプはされたが)が同じく最愛の恋人(こちらにもレイプされたが)に殺される。これだけ不幸が連続した彼女の心境はいかほどのものであっただろうか。それでも健気に振舞っていれられるのは、彼女が生身の人間ではなく、ヒューマノイドであるからかもしれない。エンディングで彼女が地上を離れたのは、か弱い体では過酷な旅についていくことも出来ず(武獣が自分の親殺しでは、心境が複雑になって、いっしょにいづらいというのもあるだろう)、かといって、東国にそのまま残っていては、暴君、シーザーの娘として魔獣たちに命が狙われる危険性があったからだろう(シーザーは物語中では、暴君のイメージが強いが、東国で暴利をむさぼっていた武獣たち、賊どもを積極的に取り締まっているシーンが冒頭で見受けられることから、人族にはある程度慕われていたと推測される)。
 最後に、未来篇は近年では絶対にお目にかかれない18禁アニメの名作であると私は思う。うろつき童子シリーズのすごいところは、初期3部作、魔胎伝、未来篇と3シリーズとも名作の威厳を維持できたところにあると考えられる。ただし、どんな名作シリーズでも、シリーズが長引けば必ず糞になるという法則は、うろつき童子シリーズといえども、抗うことはできなかったようだ。結果的に、未来篇はうろつき童子シリーズ最後の名作となってしまった。抜ける度は、このシリーズは抜き用のアニメとは言いがたいので、1とする。(りぷとー)

超神伝説うろつき童子 放浪篇(全三巻)

超神伝説うろつき童子 放浪篇(全三巻)
uro-hro.gif(1993~1995)

ストーリー・東国(あずまのくに)を離れ、超神の拠点、大阪城を目指す武獣一向。その道中、突如として発生した深い霧が武獣たちの行く手を阻む。「狂王を大阪に行かすまじ。」超神の意思が自然現象をも左右しているというのか。その霧は深い断崖絶壁から生じていた。
 彼らが断崖絶壁を降り立つと、南雲に破壊し尽された都市の廃墟が見渡すかぎりに広がっていた。東国にシーザーが新たな秩序をもたらしていたように、そこでも新しい人の営みが育まれていた。彼らに招かれた武獣たちはやがて驚愕することになる。この部落は子供が大人を支配するという規律が存在するのであった。


 ・うろつき童子シリーズ、第4段。私はこの放浪篇を駄作とみなしている。ストーリーの部分で少し仄めかしてあるのだが、放浪篇の第1話と第2話は特殊な能力をもつ「子供」たちをメインとした物語である。この設定が、そもそもの間違いであった。アダルトアニメは90年代からすでにチャイルド・ポルノの規制が厳しい。放浪篇も例外なく、物語に出てくる「子供」たちのエロシーンは一切存在しない。ヒロインであるはずのヒミですら、年齢設定が幼いためかエロシーンが全く与えられていない。第1話、第2話では彼女の裸体すら拝むことができない(前シリーズでは堂々と裸でいたにもかかわらずだ)。放浪篇をロリアニメであると期待して鑑賞すると、大きな肩透かしを食わせられることになるだろう。
 私はアダルトアニメの描写規制の堅苦しさを知っていたので、それほどの落胆はなかったが、それでも、ヒミの扱いに関しては幻滅してしまった。
 さて、世紀の悪法、児童ポルノ法改正法案が衆議院に提出された(08年6月12日現在)ことに対する憤りもあるし、放浪篇のレビューでは、主にチャイルド・ポルノについて言及しようと考えている。チャイルド・ポルノという重い話題を取り上げることには正直ためらいもあったが、私の駄文ごときに当局がわざわざ監視の目を向けることなどあり得ないと思われるので、言いたいことを言わせていただく。児童ポルノ法改正反対論者の一般的な主張の主旨を大雑把にまとめるとこうだ。「児童ポルノは絶対に許せないということを前提に、今回の改正法案では司法権が乱用される危険性があるから反対だ。乱用されるのは、単純所持さえ処罰の対象になるという部分だ。例えば、失脚させたい人間に児童ポルノ画像をメールか何かで秘密裏に送りこみ、通報さえすれば、その人はロリコン犯罪者ということになり、合法的に社会から抹殺されることが起こり得る。」この総括は何か喉に閊えるような、本質をはぐらかされたような、そして何より偽善的であると私は思う。反対論者のこの代表的な意見にはロリコンの視点が全く欠けている。いや、むしろ前半部の主張から考えるに、ロリコンに対して敵対心さえ抱いているようにも受け取れる。現在ネット上での反対論では、ほとんどこのようなつまらない一般論しかお目にかかることができないが、数年前に1度だけ、チャイルド・ポルノについて詳細に言及してある良サイトを私は訪れたことがある。残念なことに、そのサイトのアドレスや詳細な内容は忘れてしまったが、チャイルド・ポルノについて鋭い洞察力を用いて、擁護論を展開していた珍貴なサイトであったことだけは今でも覚えている。そこで書かれていたことの一つに、うろ覚えで恐縮だが、ロリコンは果たして特殊な性癖なのかという読者への疑問の投げかけがあった。その作者の考えでは、私自身もそうなのだが、もちろん否である。ロリコンは有史以来、男にとっては切っても切れない関係であろう。ソースは見つけられなかったが、日本では平安文学において、すでにそれと匂わせる描写があるそうだ。史実を反映しているかどうかは別として、司馬遼太郎の歴史小説を読んでいると、児童性愛者が案外多く登場するのも示唆に富む(ロリコンよりはショタコンのほうが多い気がするが(笑))。
 チャイルド・ポルノがエロいと感じるのはなぜだろうか?私なりに考えてみた。以下、箇条書きすると、
① 肌が綺麗な点 当たり前ではあるが、アトピー性患者でもない限り、子供の肌はもっちりとして、すべすべである。対照的に、大人の場合だと、例えば、実写AVでしばしば見かけるのが、特に臀部の肌荒れが目立つ鮫肌AV女優である。奴等の汚い尻がアップになる度に、エロい気分が萎えてしまうのはよくあることだ。
② まな板状の胸あるいは発育途上のペチャパイ 私は巨乳が嫌いであり、比較的小さい胸を好む。乳房の話題といえば、雌猿の乳房は膨らんではいない。あの大きく膨らんだ胸は成人女特有の特徴である。ある進化学者は「女の乳房は男に性的にアピールするために進化した。」という説を唱えている。私はこの主張には懐疑的である。
③ くびれ切れていない腰まわり 胸と同様、臀部に脂肪が特異的についていない幼い体つきに惹かれる。ここで誤解してほしくはないが、私は寸胴が好みだというわけではない。
 体つきというのは、もちろんシュイプアップである程度は変えられるが、遺伝による部分が大きい。洋物ポルノの白人(あるいは黒人)女を見た後に、日本のAV女優の裸体を観察すると、一般的に後者のほうが明らかに寸胴で不恰好なのは言うまでもない。私はここで洋物ポルノのほうが優れていると主張しているわけではない。飽くまで体つきの優劣について言っているだけである。
④ パイパン 陰部が無毛というのは、無駄毛がない = 美という観点からかそそられる。
 ただし、成人女が陰毛を剃り、パイパンだと主張するのには萎える。陰毛の話題ではないが、世の中にはわき毛に性的魅力を感じるわき毛フェチというのがいる。確かに、美女がボサボサにわき毛を生やしているシチュエーションは、そのギャプからエロいと言えるかもしれない。特に、2D物では、料理の仕方によっては、わき毛を上手く活かせそうだ。エロアニメのわき毛描写に関しては、私は見たことがない。一方で、エロゲではタイトル名は忘れたが、確認されている。
⑤ 世界的に絶対悪とされ、過剰に規制されている点 西洋に「禁断の果実は最も甘い。」という諺があるように、規制されればされるほど、見たくなるのが人間の感情というものだ。
 以上を総括すると、美肌、パイパンから連想される裸体美、まな板状の胸、くびれていない腰まわりから連想される成人女とは明らかに異なった体つきそして必要以上に規制されていることに対する反立こそがチャイルド・ポルノのエロさに繋がっていると思われる。
 ただし、エロさを決める最も重要なファクターは、ロリであろうがなかろうが、最終的には顔形であると私は考えている。要するに、不細工であったら、例えロリであろうが、エロくはないということになる。もう一つ、さり気無く重要なのが、髪型である。私は比較的長い髪形を好む。ロリの場合、短い髪の毛であると少年を連想してしまい、萎える。裏を返すと、顔がかわいく、髪の毛が長く、ついでに女装さえしていれば、ショタでもO.K.ということになる(特に、2Dでは)。ショタキャラといえば、エロゲ、「ふたなり♪ミルクセーぇキ、Moe. & Moe♂」に登場する下連雀すすきはエロい。アダルトアニメでは、やはり規制が厳しく、ショタキャラはあまり見たことが無い。「こどもの時間、ファイブウェイズ」にでてくる良一、光司、理の3人は小学生であり、年齢的にはまさしくショタキャラである。ただし、このアニメは小学生の男子児童が高校生の女、早紀を陵辱する(規制のためか、挿入描写は一切ない)というのをテーマにしており、男子児童は100%攻め手である。ショタは受け手のイメージが強いので、このアニメはショタコン向けとは言い難い。マイナーなエロアニメだが、「爆発寸前、あかとんぼ」にショタっぽいキャラ、もときがいる。彼は姉の恵とその女友達の性欲の捌け口にされている受けキャラである。もとき本人は全くその気はないが、ゲイの友人、雄司がいる(ゲイシーンは一切ない)。このように色々とショタ要素はそろっているものの、もときの年齢は不詳、声優は男と、実際のところは、絵柄自体がそのキャラを幼く見せているだけにすぎない部分があり、このアニメはショタ物というよりは逆レイプ物に分類されるのが自然だろう。「背徳の少女、ファイブウェイズ」のユウキはまさしく男向けの理想的なショタキャラであると考えられる。彼女、もとい彼は前述の顔がかわいい、ロングヘア、女装という三拍子が見事にそろっている。そして声優が女である。アニメ、もしくはエロゲのショタもしくはシーメールの場合、声優が女であるということは非常に重要なことである。ショタとは関係ないが、「肉体転移、グリーンバニー」の第1話はひどいものだった。序盤に主人公、健一と淑美という女の体が入れ替わってしまうシーンがあるのだが、その後、健一(肉体は淑美)はオナニーをし始める。その時、健一(くどいようだが、肉体は淑美)は野太い男の声でセリフを連発する。挙句の果て、「気持ちいい。」とまでほざく。たとえ外見がかわいい女キャラにみえても、声優が男であったのなら、いかに気分が萎えてしまうのかをこの作品は証明しているといえる。何はともあれ、狙ったショタキャラに男の声優を登用するなどという愚かしげなことをなす制作者はまずおるまい。声優が女の男キャラといえば、「パンチラティーチャー、ディスカバリー」の第2話で、浅月明という男キャラが女子高生の制服と長髪のカツラを身につけさせられて、逆レイプされるシーンはエロかった。彼は高校生であるため、ショタとは言いがたいが、美人のシーメールを連想させるような妖艶さが感じられた。
 ショタの話題はこのくらいにしておいて、話をロリに戻す。ロリとは何歳以下の女を指すのであろうか。現行児ポ法では18歳未満の実在の女を児童と定義し、彼女らのポルノを児童ポルノとみなしているが、これはあくまで法律上での話である。実際のところは、高校生をロリだと主張するやつは少ないだろう。私からすれば、中学生ですらロリとしての価値があるかどうか疑わしい。思春期に至ってしまうと、女体は見た目では、ほとんど成人女と区別がつかなくなってしまう。ロリとしての魅力が最も高まるのは、個人的には思春期に入る直前(小学校3年生~小学校5年生)くらいだと考えられる。世の中には、ロリの裸体はポルノではなく芸術だと主張し、児ポ法による規制を憂い、規制肯定派に議論を吹きかけるやつがいる。私は肯定派と反対派のこの水掛け論自体には全く興味がない。むしろ規制反対派には芸術云々と薀蓄を垂れるなと言いたい。私の主張は、単純にロリの裸体はエロい(正確には、エロい場合が多い)である。
 さて、現在において、権力側はチャイルド・ポルノを目の敵にして、絶対悪に仕立て上げようと必死である。エロの分野では、背徳的とみなされているものに、例えば、獣姦、屍姦、近親相姦などが挙げられるが、チャイルド・ポルノははっきりいってそれら以上の悪玉とされている(前者3つはロリに比べれば、圧倒的に嗜好者の割合が少ないと思われるので、注目されていないだけかもしれない。個人的には、獣姦は2D物に関してのみ、料理の仕方によってはエロくなると思うのだが)。アメリカ合衆国、ルイジアナ州では、児童(18歳未満)をレイプすると児童レイプ罪に問われて、最高刑として死刑判決を認める州法まで存在する(さすがに、これはやりすぎだと、最近(08年6月26日現在)米連邦最高裁はこの州法に違憲判決を下した)。世界はなぜチャイルド・ポルノをまるで朝敵の如く扱うのだろう。ここで、私の好きな陰謀論の話になるのだが、世界を支配しているのは一体誰だろうか。陰謀論者は、やれユダヤ人だの、やれフリーメイソンだの、世界政策の決定機関、300人委員会が存在するという説まで打ち出すやつがいる。我々凡人はこれらの説の決定的証拠を掴む術をもたず、いつまでたっても、これらは電波云々と揶揄される運命にある。私個人としては、これらに近い存在は間違いなく世界に存在すると思う。それはユダヤ人にちがいないとか、はたまたフリーメイソンだといったような固定観念は持ち合わせてはいないが。ここでは、便宜的にそれを世界権力と呼ぶことにする。日本政府は、当然の話だが、自国のみの判断で政策を決定しているわけではない。アメリカ合衆国が毎年、日本に規制や制度の改変を要求してくる書類に年次改革要望書というのがある(表面上は、同盟国同士のパートナシップを高めることが目的ということで、日本も米国にそれらしきものを送っているそうだ。)。あの有名な郵政民営化も年次改革要望書の要求項目の一つであった(民営化反対派や反米派はこれを揶揄して、郵政民営化を郵政米営化と称することもある)。
 これらをきっかけに、世界権力 = 米国とみなしている者たちもいるようだが、それは早計な判断だろう。米国を担っている米国民自体は総体的には連邦政府の管轄下にある。その連邦政府の高官たちは世界権力の代理人にすぎないという陰謀論がある。世界の金回りを牛耳っている国際金融の拠点が、ヴェネチア(イタリア)→アムステルダム(オランダ)→ロンドン(イギリス)→ニューヨーク(米国)と時代とともに移ろっていることから、世界権力は日本、米国、イギリス等、国民国家の枠組みに囚われず、将来的には世界連邦政府を樹立しようと目論んでいると唱える者もいる。その前座、準備段階として国際連合やEUが設立されたと彼らは考えている。国際機関には、例をあげると、IMF、世界銀行、OECD、WTO、ILO、UNICEF(OECD、WTO以外は国連の専門機関。但し、UNICEFのみは国際連合総会の補助機関)などがある。これらの機関の役割は様々ではあるが、その中で共通するものは、加盟国の規制や制度の是正勧告を行ったり、条約の批准を迫ったりすることにある。
 ロリ規正強化に関しては、国際的にはUNICEFが精力的に表立って活動している。日本では、日本ユニセフ協会(UNICEFの直接的な下部組織ではない)という民間組織がロリ規正に対する先鋒の役割を果たしている。そして彼らの声高な主張を大手マスコミがこぞって宣伝する。私は新聞を毎日かかさず読んでいる。新聞を読んでいて思うことは、質の悪い陰謀論よりはよっぽど権力側のプロパガンダを読み取ることができるということだ。彼らの常套手段は、まず、男女平等、児童保護、外国人労働者の人権、環境保全等の現代版錦の御旗を掲げ、反対論者の主張を極力封印することにある。そして彼らの主張が世論の多数派になるように扇動するというわけだ。男女平等や外国人の人権を毎日のように声高に喧伝するのは、裏にパートの増加や外人労働者の増加による人件費の削減を狙っていると主張する人がいる。また、ある人は、近年、時めく地球温暖化騒ぎは、排出権取引による金儲けや原発への積極投資に対する策略だと主張する。これらの主張が正しいのならば、権力側の望むものは、金ということになる。金さえ儲かれば、庶民の生活がどうなろうが知ったことかというわけである。これは自民党に多そうな利権政治家タイプを想像する。
 一方、権力者の中には、ほぼ宗教的情熱という言葉が相応しいくらい自分たちの理念、哲学が100%正しいと信じて疑わない頑なで傲慢な自称正義の味方がいるかもしれない。これは民主党に多そうな理念政治家タイプを想像する。世界権力の人々は、利権政治家タイプなのであろうかあるいは理念政治家タイプなのであろうか。おそらくはそのどちらの属性も兼ね備えているだろう。
 話が仰仰しくなり、収拾がつかなくなってきたので、話をロリに戻す。世界権力がなぜロリ規制に本腰を入れているのか、そしてその本当の目的は何なのか、私ごときでは見当もつかない。ただし、これだけは言えることだが、日本に対してロリ規制の強化を強いろうとしているのは目に見えてわかる。そして忠実な下僕、日本政府も彼らの要請に応じて動き出していることも確かだ。現在、2D画像の規制の強化がさかんに叫ばれている。「18歳未満の設定キャラは問答無用で規制すべきだ。」「たとえ18歳以上と明記してあっても、18歳未満に見えたら規制の対象とすべきだ。」「声優の声が幼ければ、規制の対象とすべきだ。」キチガイの戯れ言が政局で真面目に語られているのだ。これが机上の議論にすぎないのならば、ただ嘲笑するだけであろう。だが、恐ろしいことに、きゃつらにはそれを実現するだけの権力がある。選挙による政権交代でそれを阻止する?それは無理な話だろう。
 改革政党民主党には、ロリと聞くだけで居丈高に規制を叫ぶ理念主義者が自民党以上に多そうだ。たとえ民主党政権になったとしても、事態がそれ以上悪化することはあっても、良くなることはないだろう。2Dポルノはまもなく暗黒時代に入る、心底そうならないように願いたいが、おそらくは・・・ 規制に関してだけは常に時代の先をゆくアダルトアニメはもうすでに暗黒時代に突入していることを考えると、ただ絶望するのみである。
 さて、チャイルド・ポルノの話はここまでにしておいて、放浪篇のレビューに移る。以下はネタバレに注意してもらいたい。冒頭でも述べたとおり、放浪篇の第1話と第2話は廃墟で生活を営む「子供」たちがメインである。規制が強いため、ロリ物を期待して鑑賞すると、拍子抜けするだけである。「子供」たちがメインといえど、名前のわかる「子供」は、部落のリーダー的存在、少年エルスと少女ユフラだけである。エルスは少年のはずだが、その声は野太い。すでに声変わりの時期に入ったのかあるいは声すら規制の対象となっているのか、私には知る由もない。規制先進国、米国でのアニメやゲームは、少年という設定でも、その声優に男をあてることが一般的であることを考えると、エルスの声に関しても、ショタ規制が入ったのかもしれない。他方、声優が女の少年キャラといえば、「こどもの時間、ファイブウェイズ」の3人の少年を思い出す。彼らはその甲高い声により、いかにも幼いというイメージを醸し出していた。まあどちらにせよ、エルスにしろ、「こどもの時間」の3人の少年にしろ、その外見はまさしく少年然としており、男向けショタキャラとはとても言いがたく、エロさとは無関係なので、規制云々はどうでもよい話ではある。一方で、少女ユフラの規制の強さに関しては、正直参った。彼女のガードは固い。裸体どころかパンチラすら見せてくれない始末だ。そして第2話では衝撃の展開が待っている。彼女は実は年齢的にはすでに大人で、子供にしか発揮できない超能力を保つために、大人の姿になるのをその超能力で抑制していたというのだ。この驚愕の事実を知り、私は思った。何というご都合主義的な展開だと。ロリ規制のためですと言わんばかりの便宜的で軽率な設定であると。この時点で、私はかなり萎えてしまったが、それに追い討ちをかけたのが、次シーンだ。エルスの手配で、彼らの拠点の一室で休んでいる武獣の前に一人の女が立ちはだかる。私は最初この女を見て、どうして何の脈絡もなくいきなり娼婦がでてくるんだよと本気で思った。驚いたことに、彼女は大人の姿になったユフラであった。
 口紅を唇にべっとりと塗り、髪型も違う、おまけにボンデージ服までに身に着けている。
 アニメでここまでしたら、もはや別人に見えるのは当たり前だ。彼女は少女から一気に20代後半から30代前半まで老けてしまったようにも見える。エロシーンを見せるためだけに、一人のロリキャラに対してここまでやるのか。放浪篇制作者のこの徹底した描写規制の態度に私は感心してしまった。もう一人のロリキャラで、ヒロイン(?)のヒミは、放浪篇全話に渡り、エロシーンすら用意されていない。それどころか第1話、第2話では裸にすらならない。「お願いだ、ヒミ。エロアニメのヒロインなら、せめて裸くらいにはなれや。」と私は心の中でそう思った。同時代のアニメ(正確には、放浪篇のほうが古い)に「魔法少女メルル」というのがある。あれは、クオリティーは散々だったが、それなりのロリキャラにエロシーンが用意されていた。ヒミに関しては、未来篇のまな板状胸ではさすがにアニメではまずかろうが、少し胸を膨らませさえすれば、十分にエロシーンも可能だったんじゃないかと思う。まあ、前述したユフラの悪夢を再現させるくらいなら、エロシーンなどないほうがましだが(実は、次シリーズ、うろつき童子の黒歴史、完結篇でその悪夢が現実のものとなる)。
 以上、ロリキャラが登場する割には、ロリ物としての価値が全くないということで酷評したが、別の観点からみても、放浪篇は駄作であるとしか言いようが無い。まずは、第1話と第2話の作画のクオリティーが、素人目からも分かるほど、前の3シリーズに比べて低く感じる。セル画毎のキャラの顔形が安定していない。ボディのバランスも微妙に悪い。
 制作会社の内情はよくわからないが、予算的にもかなり苦しかったのだろうか。これと関連してか、次シリーズ、完結篇は1話のみの制作で早々打ち切りとなってしまった(打ち切りの理由に関しては、様々なうわさが流れているが)。物語の筋も悪い。うろつき童子シリーズは、色々なキャラが出すぎて、猥雑という負のイメージが少なからずあるが、以前のシリーズまでは、主人公とヒロインに焦点を合わせた描写(主に、恋愛描写)は、肝心な所ではしっかりと描かれており、押さえるべき物語のつぼはきちんと押さえられていた。だが、放浪篇ではどうだろうか。初期3部作のレビューで私は、うろつき童子シリーズの真のテーマはある時代、ある場所での主人公とヒロインの恋愛模様にこそあると述べた。この持論に沿うならば、放浪篇は主人公、ヒロイン不在の物語であるといえる。主人公を強いて挙げるとすれば、それは武獣であろうか。でも、武獣はヒロイン(?)のヒミとは歳が離れすぎているし、武獣にとって、ヒミは自分の娘のようなものだから、彼女との恋愛関係が成立するわけがない。この時点で武獣は、主人公としての資格を剥奪されているといえる。
 未来篇での武獣は、正真正銘の主人公で、その性格は豪胆無比という印象が強かったが、放浪篇では、娼婦を抱くことに余念がないドスケベおじさんという印象しかない。第1話と第2話では、規制の関係上、女を抱ける最も適度な年齢のメインキャラは武獣しかいなかったために、彼はエロシーンをほぼ一手に引き受けることになったので、上記の印象が生まれたのだと考えられる。ヒロインはやはりヒミなのであろうか。しかし、エロアニメにおいて、全話を通してセックスシーンどころか裸体描写もほとんどない女キャラをはたしてヒロインとみなせるかどうかだが。しかも、第3話の序盤では、ヒミは熱にうなされて寝ているだけでろくにセリフも用意されていない。金髪のロリキャラ、ヒミ、潜在的な魅力に関しては、うろつき童子シリーズの中でもトップクラスであるにもかかわらず、放浪篇では、その魅力が全然活かされなかった。彼女のパートナーとなるべき主人公が不在であったのが、放浪篇を駄作に至らしめた最も大きな痛手であったと私は考える。放浪篇には本当に主人公として適切なキャラはいなかったのだろうか。いや、いるではないか、ヒミと年齢的にも近い最適なキャラが。それは魔獣族の少年、イダテンである。私は彼こそ放浪篇の主人公にするべきであったと考える。放浪篇で最も優れた名シーンは、個人的には第3話のイダテンとヒミの二人っきりでの会話シーンである。彼らはそこでお互いに異性として意識し始める。このときの赤ら顔のヒミが本篇の中で最もかわいらしく見える。
 非常に残念なのが、イダテンとヒミの絡みがこの名シーン以外にはほとんどないということである。放浪篇は、イダテンとヒミ中心の物語にするべきであったのだ。言い換えれば、イダテンを脇役から主人公に昇格させ、ヒミとともにもっと活躍させるべきであったのだ。
 さすれば、第3話最後の悲劇(イダテンが復活ミュンヒハウゼンに斬首される)もより悲愴的になり、悲劇物としても名作たりえたであろうに。制作者の最大の汚点は第1話と第2話で、キャラ数が多くなりすぎるのを避けるためか、武獣一向を二手にわけた(武獣、ヒミ、ガシムチームとルドル、イダテン、D-9チーム)ことにある。正確にいうと、二手にわけること自体は別に構わないが、イダテンとヒミを別々のチームにしてしまったのが問題である。結果、第1話と第2話でイダテンとヒミが絡むことは全くなくなってしまった。極論を言ってしまえば、第1話と第2話のより道的なストーリーはいらなかったのではないかとさえ思う。OVAは一般的に連載TVアニメと違って、短時間で物語をまとめなくてはならない。その分、ストーリーの選定には細心の注意を払わなくてはならない。放浪篇の制作者はストーリーの選定を誤ったように思える。第1話と第2話は話数に余裕があったのなら、挿入すべきエピソードであったと私には思えてならない。もう一つ惜しむべきところは、イダテンとヒミの和姦ぐらいあっても良かったのではないかと思う。前述したとおり、ヒミは本篇の最後の最後で裸体になる。彼女の裸体は未来篇の時とは打って変わって、初々しさこそ残ってはいるものの、とてもロリとはいえない体にまで成長している。あの肉体をロリと定義したら、他のエロアニメの大部分がロリ物に分類されてしまうだろう。
 イダテンとヒミに関して、初期3部作の南雲と明美のセックスシーンを髣髴させるような描写があっても、罰は当たらなかったのではないだろうか。
 次に、第1話と第2話のキャラ、ケンとユミについて述べる。彼らは、エルス率いる部落の人間で、恋人同士である。両者ともすでに思春期を迎えており、特殊な能力は失われている。この部落の規律では、成人を迎えた人間は子供たちの奴隷にならなくてはならない。彼らはその規律を破り、逃亡しようとしたためにエルスに罰せられることになる。彼らの物語上での役回りは大雑把に言ってこんなところであるが、彼らに対しては、本来はイダテンとヒミが担うべきうろつき童子シリーズでは最重要と思われる恋愛描写を突如として現れた脇役が全てかっさらってしまったという負のイメージが大きい。ユミに関しては、第1話の最後でエロシーンも十分に用意されており、まるでヒロインなみの扱いである。そしてこれが意外にもエロい。彼女のあどけなさの残る表情や熟しきれていない肉体がエロさを醸し出すのであろうか。ユミのこのエロ描写が許されるのなら、ヒミのエロシーンがあっても全然おかしくはなかったと思う。それにユフラを年増の娼婦に見せるあの萎える演出も必要なかったのではなかろうか。放浪篇はエロシーンのチョイスに関しても、制作者の錯乱が目立つ。
 次に、第3話にでてくる妖炎姫について述べる。彼女は初期3部作で天邪鬼と死闘を演じた水角獣の妹である。水角獣に妹がいるという伏線は前3シリーズのどこにもなかったはずである。彼女はいかにもキャラのネタ切れで困った制作者の苦し紛れの後付設定キャラという印象が強い。私はマガジンに連載されていた医療漫画「ドクターK、真船一雄、講談社」を思い出してしまった。彼女の役回りを一言でいうと、セックス担当である。第1話と第2話にて、エロシーンを担当するのに適切な年齢の男キャラが武獣のみであったように、第3話では、妖炎姫くらいしか適切な年齢の女キャラがいない。彼女は、序盤ではアンデッド(?)ミュンヒハウゼンとセックスし、後半では天邪鬼とセックスをする。彼女はミュンヒハウゼンに操られる前までは、比較的穏やかでかわいらしい顔をしていたが、操られた後は、まるで般若のお面をかぶったように恐ろしい形相になってしまう。般若顔での天邪鬼とのセックスシーンは正直言って萎える。こんなシーンは一切カットしてしまって、その分、イダテンとヒミの二人っきりの名シーンを長引かせたほうがどれだけ有意義だったかと思えてしまう。
 最後に、魔胎伝から連続で出演している愛すべきヘタレキャラ、ミュンヒハウゼンについて述べる。彼はこの放浪篇においても、そのヘタレっぷりを全開している。彼は物語のキーパーソンの一人であるはずなのに、第3話でようやく登場する。しかも、物語の序盤と後半にちらっと登場するだけである。このぞんざいな扱われ方は、まさしくヘタレに相応しい。彼は登場の仕方もヘタレである。未来篇第3話で彼は天邪鬼との決闘中、突如として現れた天邪鬼の妹、恵による衝撃波で吹き飛ばされる。その後、音沙汰がなく、彼がどうなったのか心配だったが、どうやら海(湖?)に落ちて、腐乱死体になっていたらしい。
 腐乱死体になっても生き続ける彼の魔力には畏怖を感じるが、そもそもヘタレでなければ、腐乱死体自体にならないだろうとも思う。アンデッド(?)の彼は妖炎姫の魔力を奪い、肉体を蘇らせる。彼はみるみる若々しくなり、魔胎伝の時代の頃の容姿を取り戻す。せっかく彼の調子が上がってきたのを尻目にその後、場面は急速に一転、ヒミたちの所に移り、彼が再び物語に登場するのは、なんと終盤である。終盤でやっとこさ出番を与えられた彼を見た時の私の第1印象は「細っ!」である。彼は今まで欠かさずマントを着用し、ボディラインが隠されて見えなかったのだが、マントをはずした姿がここまで細かったとは。若い女がうらやましがるくらいに細い。ただし、男としてはどうだろう。ただのガリにしか見えない。彼は強力な魔力を有しているから、体を鍛える必要はないということなのかもしれない。そして彼は活躍する間もなく、いきなり最期が訪れる。イダテンをはずみで殺してしまったことにより逆上したヒミが狂王の真の力を発揮し、彼女の周りに光が溢れ出す。その光に触れたミュンヒハウゼンはあえなく昇天。まさに、その間わずか2秒(バキ、板垣恵介参照)である。彼は、最期の最期までヘタレを貫いた理想的なヘタレキャラであると心底思う。
 総括として、放浪篇を一言で表すと、名作になる資質は十分にあったのに、名作になりそこねた駄作である。もはや叶わぬ夢だが、制作者にはイダテンとヒミの追加エピソードをぜひともつくって欲しかったように思う。抜ける度は1である。(りぷとー)

超神伝説うろつき童子2・超神呪殺篇

超神伝説うろつき童子2・超神呪殺篇
uro2.gif(1988)

ストーリー・明美に想いを寄せる仁木は、彼女と愛を交わした南雲に敵意を燃やし、彼を倒すために魔界の力を頼る。一方天の邪鬼は新たな魔物と激しい死闘を繰り広げていた!


 ・大人気シリーズの2作目で、作品のグレードは決して低くないのだが、何となく最終巻への繋ぎ的なノリとなってしまっている感がある。何よりエロシーンが少なくなってしまったのは残念だ。
 こういう骨太の作品なのでストーリーを語ることも大切なのは分かるが、もっとエロに絡めて効率よく見せる工夫があっても良かったと思う。
 天の邪鬼が都市上空で繰り広げるバトルは映画並みの迫力で、これとエロがもっと高次元で融合していれば、一作目を軽く凌駕する傑作になったのにと惜しまれる。
 「抜ける度」は2。(イボイボ)
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